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銀色の処女(シルバーメイデン)

89

 

「あんな、作り物には負けない。絶対、私がヒロを手にいれてやる。あかりに、後悔させて……」

「志保っ!」

 綾香は声を張り上げた。が、すでに遅かった。

 志保は綾香の声には驚かなかったが、綾香が自分を見ていないことに気付いて、その視線を 追った。

 綾香が、どうしていいか分からないという表情で志保の後ろに視線を送っていた。志保は、 ゆっくりと後ろを向く。

 そこには、志保がただの作り物と称したセリオが立っていた。

 しかし、別に志保にはそれに驚く必要はなかった。相手は、単なる作り物だ。もし、ここに 浩之が立っていたなら、志保もどうしていいのか分からなくなっていただろうが。

「セリオ……」

 しかし、綾香も志保のことで一つ重要なことを忘れていたのだ。セリオはすでに起きているだろう し、そして今の話をセリオには聞かれてはいけないことを。

「……おはようございます、綾香お嬢様、志保さん」

 セリオは、完璧な動きで頭を下げた。

「……何よ、私は別にあんたにさんづけ呼ばわりされる覚えはないわよ」

 志保は怒鳴ってやりたい気持ちになっていたが、それをのどの奥でとどめた。もし、これ以上 大きな声をあげてしまうと、浩之が起きてしまうことに気付いたのだ。

 それは、その綾香の表情を見て気付いたことだった。綾香としては、セリオだけにはその話を 聞かれたくなかったのだろう。

 そして、志保は浩之だけにはこの話を聞かれたくないのだ。それを最後には浩之に教えないわけ にはいかないとしても。

 しかし、綾香にとってはセリオが知らないことにこしたことではない話の内容なのだ。それを 知ってしまえば、セリオの苦しみがまた一つ増えるだけなのだから。

「志保でいいわよ、志保で。まっ、メイドロボには呼び捨てなんてできないんでしょ?」

「はい、メイドロボには人間の方を呼び捨てにすることはできません」

 こんな、人を呼び捨てにもできないやつに……

 しかし、本人を目の前にして悪意を持って悪態をつくことは志保にはできなかった。そんなに 賢明なタイプではないが、志保は良くも悪くも浩之に影響を受けているのだ。

 悪いのは、このメイドロボじゃない……

 志保は自分に言い聞かせた。確かにさっきは言いたいことを言ったが、それは志保の本位では ない。

 悪いのは、このメイドロボのことを考えるヒロと……

 ……それを許してしまったあかりだ。

 ここでこのメイドロボをけなすことはできる。きっと綾香はむきになって止めてくるだろうけど、 綾香も『親友』の前で人を殴ることなんてできないはずだ。

 でも、私はそんなことをするためにここに来たわけじゃない。

「それで、お二人共どのようなご用時でこのような早朝にいらっしゃったのでしょうか」

 今さっきの話を聞いてない?

 セリオのいつも通り無表情な反応に、綾香は一瞬だけ希望を持ったが、すぐにその甘い考えは 捨てた。

「セリオと一緒に学校に行こうと思ってね。いつ浩之の家を出るのか分からなかったから、かなり 早く来たけどね」

「そうですか、ありがとうございます。まだしばらく学校に行くまでは時間がありますので、中で お待ちください」

「じゃあ、そうするわ」

 一度は浩之の気持ちさえ無視してまで浩之を、人間を助けようとしたセリオだ。そんなことは ないとは思うが、今の言葉を聞いて、セリオが身を引くこともあるのだ。

 少なくとも、最後の志保の言葉は聞いているはずだ。その意味が分からないセリオではない。 今の無表情は、ただいつも通り無表情なだけなのだ。

「志保さんはどういうご用件でしょうか」

「私は……あかりのかわりにヒロを起こしに来たのよ」

 志保は、どうせ文句を言うならヒロにだ、と心の中で思った。まだ自分があかりのかわりに 浩之を狙うことに納得はできていないのだ。

 浩之と恋人になれることは、本当に望むべくもないことだが、それにあかりが関わっている以上、 志保は躊躇してしまうのだ。

 今浩之に会っても、やはり筋の通っていない文句しか言えないだろうことも分かってはいた。

 だが、セリオに文句を言うのは筋違いなことぐらいは分かっていた。

 道具に文句をつけるようなバカなことは私はしない。

 それを聞けば、綾香は激怒するであろうが、それは志保の知るところではなかった。志保に とっては、セリオは単なるロボット、単なる電化製品なのだから。

「あかりさんは、まだ病気が治っていないのでしょうか?」

「知らないわよ。昨日の様子を見ると治ってるかもね。でも、今日からはあかりのかわりに私が 来るわ」

 これも本当は筋違いなことは志保も分かっている。しかし、あかりは「あきらめたあかりの かわり」と言えば納得するだろうし、そして絶対に悲しむはずだった。

 あかりが悲しむことを考えると、胸が苦しくなるが、もしかしたらその悲しみのせいであきらめ きれないことに気付くかもしれない。

 あかりには、どう言っても、ヒロはあきらめきれないはずなのだ。一番大切な人と、あかり自身 口にしているではないか。

 ……やっぱり、私には手が出せないわけね。

 どちらにしろ志保には浩之を恋人にはできないだろう。それを志保は今更身にしみていた。

 どんなに決心したと自分をだましても、私には……私には、あかりに幸せになって欲しい。

「ほら、さっさとヒロ起こしに行くわよ」

「まだ浩之さんを起こすには早い時間です」

「私が来た時間が起きる時間よ。ヒロにだって文句は言わせないわよ」

 いや、絶対に文句は言われるのは知っていた。そして、私は困るだろう。しかし、それでも、 ここまで来たからには、ヒロを起こさないわけにはいかない。

 もう一つの最低の問題だけは避けておきたかったのだ。朝にあかりに会ってしまうことは。

「しかし、浩之さんは昨日もお疲れになっていたようなので、なるべく寝かせておいて欲しいの ですが……」

 そう言って、セリオは扉の前に立って動く気はなさそうだった。志保が無理やりどかそうとした わけではないが、扉の前に立ったセリオの挙動を見れば一目瞭然だ。

「どいてよ、私は急いでるのよ」

「そういうわけにはいきません。浩之さんの体調の管理も私の仕事です」

 志保はあせっていたが、メイドロボも機械なので、力ずくで動かすことは難しいだろうことは 予測できた。

 早くしないとあかりが来ちゃうじゃない。

 問題を後伸ばしにしようとしているだけだと言われればそれまでだが、志保はそれでもなるべく あかりとのことだけは後伸ばしにしたかったのだ。

「どいてよ」

「いえ、そういうわけにはいきません。しばらくお待ちください」

「いいから……」

 志保が怒鳴ろうとしたとき、家の奥から、聞きなれた声が聞こえた。

「何こんな朝早くから人の家まで来てんだ?」

 その声に、びくっと身体を震えさせて志保は口を止めた。

「浩之……」

「ヒロ……」

 セリオの後ろから、あまりやる気のなさそうな浩之が顔を出した。

「何だ、今日は朝から珍しい顔が来てるな。何か俺に秘密で集会でもあるのか?」

 綾香は少し驚いていたが、それも志保ほどではなかった。志保はばつが悪そうに顔をそらして いる。

 ただ一人、セリオだけが、まったく動じずに、頭を下げた。

「おはようございます、浩之さん」

「おはよ」

 浩之の挨拶につられて、綾香も志保も、それにつられてぎこちなく挨拶をした。

 

続く

 

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