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銀色の処女(シルバーメイデン)

90

 

「で、二人してこんな朝っぱらから何か用か?」

 浩之は、寝ぼけまなこでパジャマを着たまま、大きなあくびをしながら聞いてきた。

 しかし、そんな浩之の態度とは裏腹に、志保は内心あせっていた。

 まさか、さっきの話を聞かれた?

 今起きたばかりの格好をしてはいるが、それが演技だったら? 私の話を聞いていたら、ヒロと しては取る行動は二つ。

 私に何か言い返すか、聞かなかったことにするか。

 私の知っているヒロなら、おそらく後者を取る。うやむやにするのがいいこととか悪いこととか ではなく、それ以外に手の取りようがない。

 志保は浩之の真意を探ろうと、じっと睨むように浩之を観察したが、これと言って怪しい場所は 見つけれなかった。

 だが、志保はそれでも安心できなかった。志保には負い目がある、だからこそ、自分でも他人でも 信じられないのだ。

 疑心暗鬼になる志保とは違って、浩之のことでは綾香はまったくあせってはいなかった。

 今ここにいるのも、何か打開策を練ろうとして、とりあえず浩之とセリオの様子を見に来ただけ なのだ。予定よりも早く来てしまったので、本当は志保がいなければ、家の前で待っていようと思って いたのだが、志保の言葉につい声を荒げてしまい、セリオに見つかった上に、浩之にも起きられた だけだ。

 綾香は、今回浩之には負い目がない。セリオに対しては、自分のせいではないが負い目があり、 かなりあせってしまったが、今はそういうことはない。

「こ……」

 しかし、綾香は綾香で言おうとした言葉を飲み込んだ。

「こ?」

「……じゃなかった、私はセリオを迎えに来たのよ」

「別に迎えに来るのはいいが、もうちょっと静かにできないか。最近俺寝不足なんだぜ」

 綾香は「こんな美人が朝から見れてうれしいでしょ」と返そうとしたのだが、志保のこともあり、 言葉を止めたのだ。綾香としては挨拶みたいなものだが、今の志保に対しては、明らかに挑発にしか なっていないだろうことが予測できたので、言葉を飲み込んだのだ。

「まあ、綾香はいい。俺もある程度納得できる」

 今は志保がいるので、きっと『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』の話を しようとしてやめたのだと、浩之は勝手に判断した。

 もちろん、綾香はその話を志保の、つまり部外者の前で口に出すわけがない。それは、頭の中に 完全に書かれているので、今のように一瞬言ってしまいそうになることはないのだが、それは浩之の および知るところではない。

「しかし、何で遅刻魔の志保がこんな朝早くここにいるんだ?」

「誰が遅刻魔よっ! いっつもあかりに起こしてもらってるヒロと一緒にしないでよね」

 浩之が学校に最近遅刻していないのは、ひとえにあかりの功績だった。まだ中学校のころはあかり も浩之を起こすのに慣れておらず、よく遅刻をしていたものだが、それは浩之のせいであって、あかり のせいではない。

「今はセリオに起こしてもらってるがな」

「……結局他人まかせじゃないっ!」

 志保は、一瞬すごい形相で浩之を睨んでから怒鳴った。

「いいんだよ、結果起きれれば」

「私が言いたいのはそういうことじゃないっ!」

「……志保?」

 いつもと違う、あまりの剣幕に、浩之は一瞬気おされた。口のいい方ではない志保だが、こんな 反応は浩之の知る限り初めてだった。

 志保は、どうしようもなくなって顔をそむけた。

 浩之に、昨日の電話ごしの、志保のいつもと違ったおかしな態度が思い出された。浩之自身に 色々と問題が起こっていたのであのときは無視したが、それを目の前でやられると、浩之も黙って いるわけにはいかない。

 浩之も昨日と変わらず切羽詰った状態ではあるが、それでも、目の前で悪友の様子がおかしかった ときに、無視するには、浩之は優しすぎた。

「何か、あったのか?」

 その声をかけたときに、浩之を見た志保の表情は、浩之の知っている志保の表情ではなかった。

 言葉では言い表せない、志保が、志保ではないような表情。

「何もないわよっ! あんたには関係……」

 なければ、こんな朝早くに家に来りはしないであろう。それは分かっていたが、浩之は志保の 次の言葉を待った。

「……関係ないわよ」

 志保は、ふいと身体をそむけると、浩之に背を向けて歩いていく。

「おい、志保」

「朝から騒いで悪かったわねっ!」

 志保は、背を向けたままそう怒鳴ると、浩之の家から大またで歩いて離れていく。

「……」

 浩之は一瞬躊躇して、そして家を出ようとして、やはり止めた。

 浩之らしくないと言えばそれまでだが、浩之にも浩之の事情があるのだ。

「浩之、追っかけてあげないの?」

 綾香が、ちゃかすように声をかけた。ちゃかす場面ではないのだろうが、こんなときでもいつも と変わらない態度を取るのも、綾香ならでわだ。

「綾香のときとは事情が違うだろ。それに、だいたい志保の行く場所なんて予想できる。セリオ、 朝食できてるか?」

「はい、後は簡単な準備だけですが」

「だったら用意しといてくれ、俺はちょっと着替えて準備してくる」

 そういうと、浩之は階段に向かって歩き出した。

「あんにゃろ、朝から俺に仕事させるなってんだ」

「何だ、結局追うのね」

 綾香はてっきり今までの態度から見て浩之は志保の後を追わないものとばかり思っていたが、 どうも手早く準備を済ませようとしているところを見ると、志保の後を追うようだ。

「俺がいくら冷たくてもなあ、悪友がおかしいのに見て見ぬふりもできないだろ?」

「へーっ、熱血ね」

「へっ、言ってやがれ」

 浩之は肩をすくめると、階段を上りはじめた。

 浩之は後を追うようだが、綾香は、心の中ではそんな必要はないとさえ思っていた。

 だって、志保はセリオのことを「作り物」って言ったのよ。そのむくいは受けるべきだと思わ ない?

 もっとも、こんなことを考えるのは、ここでは自分一人だろうと、綾香は肩をすくめた。

 それが悪いことだとは思わないが、だ。

 

続く

 

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