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銀色の処女(シルバーメイデン)

93

 

 やっぱり、追ってきてくれたんだ。

 志保は、自分が浩之に迷惑をかけていることを分かっていても、どこか心の中で安堵していた。

 ヒロのそういうところ、信じていないわけではない。ただ信じているというだけなら、何よりも 信じている。ヒロの、優しさは。

 でも、だからこそ不安になることもあるのだ。それが自分の単なるわがままなのだから。

「まったく、手間かけさせるなよな、志保」

 その声はどことなくいつもと違って優しい。それは、ただ私がいつもと違っていたからなのか、 それとも、ヒロがいつもと違うのか。

 志保には、その答えを知る術はない。

 それとは反して、志保は今から一つの術をつかって、浩之を説得しなくてはいけない。それが、 泣き落としになるか、怒鳴り声になるかは、志保の扱える部分ではなく、結果にまかせるしかない のだ。

 最近、物事が早く進みすぎてる。

 志保は、心の中で、その時間を早めた何かに悪態をついた。

 私はまだ、あのままでいたかったのに。いつか、どうしようもない日が来るとしても、それは 仕方のないことだとしても、まだ、私はそこで立ち止まっていたかったのに。

 しかし、時は動き出した。動き出したからには、自分の思うように動かすしかできないのだ。 思い通りになるかどうかは別にして。

「別に私が手間をかけてくれと言ったわけじゃないわよ」

「へっ、どっかのドラマで出てきそうな剣幕で逃げてったやつの言うセリフか?」

「いいのよ、私は何やっても絵になるから」

 そう言って志保はクルリと身体を回転させた。浩之も、心の中ではあまり反論はなかった。 かわいいというだけなら、志保はかなりのものだ。

「前衛芸術ってやつだな」

「違うわよっ!」

 もちろん、だからと言って素直にほめてやるほど浩之も甘くはない。

「で、別に俺はこのままお前と漫才やってても問題はないんだが、お前の方は困るんだろ。何が あったのか教えろよ」

 浩之は、嘆息しながら言った。実際、浩之はこのまま志保と漫才をしてもあまり問題はないのだ。 それは、自分の目的はある程度達成できているのだから。

「……何もないわよ」

「嘘つけ。何もないやつが、いつもと違う行動取るわけないだろ。何で今日はあんな朝早くから うちに来てたんだ?」

 浩之は、いつもなら志保のことだから、言いたくないことは絶対言わないと思って、一度聞いて 言わなければ、絶対に二度聞いたりはしないだろう。

 だが、それはあくまで、いつもならの話だ。今な事情が違ってくる。

「だいたい、何かあったとして、あんたに話さなきゃならない理由でもあるの? あんたは関係 ないじゃない」

「関係あるに決まってるだろ」

 何故かなど、浩之は答えなかったが、志保は本当はそれだけでも涙が出るほどうれしかった。

 ヒロは、関係ないとは言わない。だって、それは私が……

 涙が出るほど、悲しかった。

 私が、ヒロの親友だから。

 この位置に安穏としていたかったのに、時間というのは残酷な方向にしか動いてくれないのだ。 今から、私はその大切な場所を切り捨てないといけない。

 切り捨てないと、私が切り捨てられないと、あかりは……

 例え、私がその位置で安穏としていることを選んでも、あかりは、そんなことをしちゃ駄目 なのだ。でないと、私はいつか……

 いつか、自分のためにその位置から動こうとするだろうから。

 この臆病でどうしようもない私でも。

「……そうね、関係あるわよね。ヒロは」

「だったら、話してくれるだろ? 悪友のよしみだ、手助けできる場所は手助けしてやるぜ」

 浩之は、少しも恩着せがましい顔はしなかった。そんな恥ずかしいことはできないのは、浩之 が、それをまったく自分の糧にしていないから。

 おかしな話だが、人を助けて、それで感謝されて喜ぶヒロじゃないから。

「だったら、直接聞くわよ。ヒロ、正直に答えてね」

「ああ、いいぜ」

「ヒロは……」

 さあ、決心をしないといけないわよ、私。ここで聞いたら、後戻りなんて、できないんだから。

 しかし、志保は自分でその考えが滑稽に思えた。

 ヒロを好きになったと自覚してから、もう後戻りなんてできないじゃない。

 とっくの昔に、私は退路を絶たれているのだ。今さらあせったところで、どうなるものでもない のだ。

 だから、私は一歩だけ、前に進もう。それが崖に向かってるのか、またいつもの生活に向かって いるのか、もっと幸福な場所に向かっているのか、私は知らないけど。

「ヒロは、あのメイドロボのことが好きなの?」

「……あ」

 浩之は、正直に、それがどういう意味で聞かれたのかも分からずに、答えようとした。

 ズキンッ!

 志保の目の前で、浩之は、胸を押さえ、苦しそうにその場にかがみこんだ。

「……ヒロ?」

 その理解できない動きに、志保は怪訝な顔をして浩之に近づいた。

「ちょっと、ヒロ、どうしたって言うのよ」

 しかし、浩之からの返事はない。

「ヒロっ!」

 志保は、さすがに異変に気付いて、浩之に駆け寄った。自分がこれからしなければいけないこと を、一瞬全て忘れてさえいた。

「……そんなに大きな声あげんじゃねえよ、志保」

「どうしたのヒロ、もしかして、病気か何かだったの?」

 志保は、いつもからはまったく想像もつかない不安げな声で浩之の肩をつかんだ。それだけでも、 浩之の胸の痛みは、少しは和らぐ。

 ただし、それ自体が、浩之の違う胸をしめつけるのだ。

 またかよ……

 浩之は、自分のことながら、もううんざりしていた。この、胸の痛みにではない。それを治す のに、他の女の子が近くにいることが、何よりの特効薬になることに。

 志保は、そんなことは知らずに、浩之をゆさぶる。

「いいから、ゆさぶるんじゃねえよ」

「でも……」

「大丈夫だ、これぐらい、どうってことない」

 しかし、浩之も油断をしていた。まさか、ここで胸の痛みが再発するとは思っていなかったので、 油断をしていたのだ。でなければ、こんな姿を志保に見せるわけはなかった。

 しかし、見せてしまったからには、説明せざるおえないだろう。説明をしなければ、無理やりに 病院につれていかれるかも知れないし、何より、あまりにも志保を不安にさせるぎる。

 まあ、話したからと言って、これ以上状況が悪化するわけがないのだ。もう、状況というものは これ以上ないぐらいに悪化しているのだから。

 だから、浩之はその状況というやつに皮肉たっぷりに笑ってやってから、言った。

「これが、セリオを好きになった代償ってやつさ」

 胸はまた痛んだ。その痛みは、その肉体の主人に何を言いたいのか。浩之には、それが見えて こなかった。

 ただ、やはり、横に志保がいると、その痛みが消えていくのだけが分かった。

 この……浮気野郎がっ!

 浩之は、その瞬間、本当に自分に殺意を覚えた。

 

続く

 

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