銀色の処女(シルバーメイデン)
「……やっぱり、ヒロ、あのメイドロボのこと……」
今はそこを気にするときではないことぐらい、志保も重々承知していたのだが、言わずには おれなかった。
自分の予想と、やはり少しも違いはなかったのだ。それもそうだろう、浩之は、『シルバー』と 違い、完成された一貫性のある人間なのだから。
「何だ、志保は気付いてたのか」
「当たり前でしょ、私を誰だと思ってるのよ」
「情報通を名乗っているわりには、恋愛話には鈍いやつ」
浩之の言葉は、ある意味少し前の志保を完全に表していた。しかし、今の志保は違う。例え元が そんな性格であっても、人間必死になれば変わるものだ。
そして必死という面でおいては、志保は今ほど必死になったことはない。
「あかりをほっといてでもそのセリオとか言うメイドロボのことを気にしてたんだから、分かる なっつう方が無理よ」
「そうか……志保に知られてるってことは、まあ、あかりも気付いているだろうけどな」
「それは……」
志保にとっては触れたくない会話だった。あかりの名前は、やはり志保を怖気づかせる。
「ま、知られたからってあんまりそこに関しては問題ないんだ。隠す気もなかったしな」
浩之には悪いことをしているという意識はない。実際、何も悪いことをしているわけではない のだ。それが志保にとって許せない行為だということとはそれはまた別の話だ。
「というか、落ち着いたら、お前らにも話そうとは思ってたんだぜ。まあ、何年先になるかは分から ないけどな」
「落ち着くって、何かごたごたがあったの?」
これからもまだあかりのことでごたごたは残っているのだが、志保は他にもまだ色々あるのかと 不安になった。
「一応な」
「それで、昨日はあかりの見舞いに行く暇がないって言ってたんだ」
「ああ、それはまた別だ。セリオが怪我しててな、すぐに治しに行きたかったんだよ」
「怪我って、メイドロボも怪我するの?」
「まあ、故障って言った方がいいんだろうな。人間みたいに自然治癒はしねえからなあ」
それなら、ヒロがあかりのことを二の次にしたのも分からないでもなかった。あかりが風邪を ひいたからと言って、すぐにどうこうなったりはしないであろうし、故障ならすぐに直さないと問題 だろう。
「それを知ってれば……」
「ん? どうかしたか?」
「こっちの話よ」
それを知っていれば、私は別にヒロを疑ったりしなかっただろうに。そして、ヒロがメイドロボを 好きになったことも知らず、あかりにあんなことを言う必要もなく……
……でも、どうせいつかはやらなくちゃいけなくなってた。
「ほんとは、全部事が終わってからお前らには教えるつもりだったんだけどな。行きがかり上、 綾香はこのことを知ってたが、あんまり他人には知られたくなかったからな」
「メイドロボを好きなことが?」
志保は、半眼で浩之を睨んだ。
そう、ヒロは何でメイドロボなんか。変なやつではあるけど、決して自分に都合のいいような そんな作り物のことを好きになるようなやつではないと思っていたのに……
それが恥ずかしいと思って他人に知られたくなかったなら、それはまだ手が残っているという ことだ。
だが、それはあくまで志保から見た状況だ。浩之から見た状況まで、そうとは限らない。
「何言ってんだ、志保?」
「何って、自分で変だと思わないの? メイドロボはどんなに精巧にできたって、単なる作り物 じゃない。それを好きになるなんておかしいわよ」
それは、いいがかりでもあったが、志保の本心でもあった。しかし、その一点だけは、志保は 絶対にメイドロボに勝っていると思っていた。
志保が、人間だということが。
「……志保」
「な、何よ」
浩之の、どう表現していいか分からない、唯一志保の知識の中で表現するなら、怒っている冷たい 目を見て、志保は一歩下がった。
こんなヒロの目、初めて見る。
目の前にいるのはよく知っている浩之なのに、それが自分の知っている浩之とどこか違うのでは と、志保はとても不安になった。
「二度とそういうことを俺の前で言うんじゃねえ」
「は?」
志保には浩之が何故そんなに怒っているのかがさっぱり分からなかった。
「人間だから、メイドロボより偉いみたいな言い方、俺は二度と許さないぜ」
「ちょ、ちょっと、何言ってるのよ、ヒロ。そんなの、当たり前じゃない。メイドロボは人間の ために作られたんだから、人間の方が偉いに決まってるでしょ」
そう言えば、綾香も変な反応してたような……
しかし、それを思い出したからと言って、志保の行動が変わるわけではなかった。
「いや、違う。メイドロボは、人間に劣ってない。劣ってるのは、人間の方だ」
「はあ?」
怒りに満ちた浩之の表情を見ても、志保には何のことだかさっぱり分からなかった。
「何、新手の宗教か何か?」
しかし、浩之が宗教など信じるはずがない、と志保も分かっていた。浩之には、自分というもの があるから、宗教のような一貫した他人の理論を必要としないのだ。
「志保、お前もそうなのか?」
「そうって、何がそうなのよ。ちゃんと説明してよ。さっぱり分からないじゃない」
「……そうだな、ちゃんと説明してやるよ」
そう言うと、浩之は屋上に置いてあるベンチの一つに腰を下ろした。
「何で俺がセリオのことを好きになったのかは省くぞ」
「誰もあんたののろけ話なんて聞きたくないけど、それ以外に何を話すことがあるのよ?」
「この、胸の痛みについてだ」
もう、痛みは完全に消えていた。真横に志保がいるのだ。今までの経験から言って当然のこと だろうと浩之は思った。
「メイドロボを好きになるのは、何も特殊なケースじゃないらしい」
「世の中にはもてない男が多いってことね」
しかし、何もわざわざもてる男がメイドロボなんて選ばなくてもいいのに……
志保にとっては、理不尽この上ない話だ。
「いいから聞け。これは極秘だが、メイドロボを好きになったやつのほとんどが、精神障害をひき 起こしている」
「……え?」
志保には、それの意味がほとんど分からなかった。寝耳に水だったこともあるが、何より、 そこに因果関係が出てこなかったのだ。
「『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』と呼ばれるその精神病は、おもに情緒 不安定になる軽度のものから、幼児後退のような重度のものまで色々だ。だが、どうも俺のやつは その中でもとびっきりひどいみたいだな。痛みが肉体にまで来てる」
「ヒロ、言ってることが訳わかんないわよ!」
「つまり、メイドロボを好きになったやつは、精神病にかかるんだよ」
「だから、どうして!?」
確かに、メイドロボを好きになるのはおかしなことだと志保は思っている。しかし、それが原因 で精神病を起こすというのは、まったく理解の範疇を超えていた。
「それは……人間が、メイドロボを自分達より低くみてるからだ。対等に見ていないから、人間は メイドロボに劣等感を生む。その劣等感が、人間を追いこむ……と俺は思っている」
「劣等感ぐらいで人間が病気になってたら、やってられないわよ」
志保は、しごく当然とばかりにつっこみを入れた。
「メイドロボが自分達より低い? 当たり前じゃない、メイドロボは人間のために、人間が作った のよ。何で、メイドロボをそんな高く見ようと思わないといけないのよ」
「俺は低くなんてみようとしてない。だか、俺の中の人間は、そうじゃないみたいなんだよ。だから、 俺は『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』に犯されてる」
「ヒロ……あんた、ほんとにどっかおかしいんじゃない?」
志保にはさっぱり浩之の言う事に現実性を見出せないのだ。劣等感だけでいちいち精神病になって しまっていては、普通に生活することもままならないだろう。人間は、劣等感の塊なのだから。
「それに、メイドロボは、人間よりも、ある方向には優れている」
「何よ、その方向って」
「心だ」
「……ヒロ、あんた、本気で頭どうにかなったんじゃないの?」
志保は、その言葉を鼻で笑った。笑わざるおえなかった。
「メイドロボに心があるわけ……」
「ある。志保だって、マルチのことを知ってるだろ」
「まあ……確かにマルチはロボットって感じはしないけどね。でも、人間よりも優れてるとは思わない わよ。全然融通きかないし、それに、単なるプログラムじゃない」
マルチはよくできてはいるが、、「人間」とは違うと、志保は思っていた。それは志保の概念の 中の「ロボット」と違うだけで、人間とは似ても似つかないものだ。
「それが一般常識なのは知っている。俺だって、そうは意識しては思っていないだけで、そう思って るんだろう。だからこそ、俺はこの病気に犯された」
「もしかして、さっき胸を押さえてうずくまったのは、そのせいとでも言うわけ?」
「ああ、その通りだ。」
「そんなこと起こるわけないじゃない。何か他の病気にでもかかったんじゃない?」
志保には、信じられないのだ。たかが、劣等感程度でそんな精神病にかかることが。いや、その 前段階、メイドロボに劣等感を抱くことさえ、志保にはさっぱり理解できないのだ。
「それならいくらかましなんだけどな」
浩之は、がしっと志保の肩を持った。突然のことに、志保の顔が真っ赤になる。
「ちょっと、ヒロ、何するのよっ!?」
「こうすりゃ胸の痛みが消えるんだよ」
目の前に、浩之のせっぱつまった顔があった。それだけで、志保の鼓動が早くなる。
こんな、真面目な顔するやつじゃないのに。
志保には、その浩之の姿はかっこよくもあり、はがゆくもあった。だから、照れもあって、 つい嫌がる動きをしてしまった。
「やだ、放してよ変態!?」
浩之は、その言葉ですぐに手を放した。
「ほら、セリオ以外の女に近づくと、この胸の痛みが綺麗さっぱり消えるんだ。これが、普通の 心臓病か何かだと思うか?」
浩之は、ぎりっと唇をかみ締めた。
その表情に、志保は戸惑いの表情のまま、何も言うことができなかった。そこには、自分の肩を 持ったことを、何かの罪悪のように怒りを覚えている、自分の好きな人がいた。
続く