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銀色の処女(シルバーメイデン)

95

 

 志保は、途惑いの表情のまま、浩之をどう見ていいのか迷っているようだった。

 それもそうだろう。志保には驚くことがあまりにも多かった。

 浩之がメイドロボを好きになっていることだけでも志保には信じられないことなのに、さらに そのせいで精神病にかかっているというのだ。そんなもの、信じろと言う方が無理だ。

 だが、浩之の表情は、冗談を言っている表情ではない。もとより、浩之も志保の真面目な表情を 見ても冗談を言うほど場をわきまえてないようなことはないはずだ。

「……それで、治す方法は?」

 志保は、決して信じたいわけではなかったが、信じないと話が進まないと思って、無理やり自分を 納得させた。

 むろん、志保にもよく分かっているのだ。それが、信じるしかないことに。

「ない」

「ないって、あんた……」

 だったら、ヒロは何でそんなリスクのある行為をするのか、志保にはさっぱり分からなかった。

「痛いって言うけど、それってどれくらい痛いの?」

「そうだな……お前にも理解できる程度で言うと、タンスの角に足の小指をぶつける……20倍ぐらい か?」

「……そんなの、ほんとなら我慢できるわけないじゃない」

 冗談にしては大げさすぎるし、真実としては、さて、それは酷いのか酷くないのか。単純に考え れば、我慢はできないということだろう。

「だから、お前の前で我慢できずに押さえたんだよ。家じゃあ無理やり我慢してるんだがな」

「無理やり我慢って、家なら誰もとがめたり……」

 志保としては、浩之がそれを我慢する理由はわかる。もし、それをあかりにでも見られたら、 あかりが心配することは目に見えている。

 むしろ、それを言えば私にもそんな姿は見せたくないはずだ。

 誰よりもやる気なさげに見えるのに、誰よりも優しい。それが志保の知る浩之。それには、あかり だろうと、志保だろうと分け隔てない。

 ただ、心配させたくないという思いから、その痛みにも耐えるだろうと志保にも予想できる。

 だが、ヒロは私の前で胸を押さえてうずくまった。私の慢心じゃなければ、ヒロにとって私はその 姿を見せたくない5本の指に入る人物のはずなのに。

 それだけ、自分と浩之が親友、いや、悪友である自覚が志保にはあった。

 あかりには見せたくないだろう、当然。後は、雅史にも。他の仲の良い知り合いにも見せたくは ないだろうけど、一体、本当は誰に見せたくないんだろう?

 浩之の口から出たのは、志保の範疇外の人物だった。いや、人でなかったのかもしれない。

「家には、セリオがいる。セリオだけには、この姿を見せるわけにはいかないんでな」

「何で、そのセリオってのは、その精神病の原因なんでしょ!?」

 志保は、たかがメイドロボにという言葉を飲みこんだ。今までの姿を見ていれば、浩之が激怒 するのは目に見えていたからだ。例え志保がそう思っていても、今は言わないべきだと志保は思った のだ。そんなことで中断されるには、あまりにも重要な話なのだ。

「……ああ、だからこそ、見せるわけにはいかないんだよ」

「私にはわかんないわよ。相手はメイドロボでしょ? 別にその姿を見せたって心配なんて……」

「するんだよ、セリオは」

「はぁ!?」

 今日は志保にとって分からないことだらけであったが、今のはその中でも、とびきり分からない ことだった。

 メイドロボがヒロの身を案じる?

 確かに、マルチなら心配するかも知れない。だが、それは単なるプログラムであって、メイドロボ の意思ではないはずだ。

 いや、メイドロボに、意思なんてないはずだ。

「セリオは、いや、メイドロボは、人間が傷つくのが、1番苦しいことなんだ」

「苦しいって……相手はメイドロボじゃない」

 ロボットが苦しむなんて、志保の常識から、いや、世界の常識からかけ離れていた。ここは 少しおかしな者もいるが、SFの世界ではないのだ。

「ああ、メイドロボだ。だが、人間よりも、優れているんだ。彼女らには、人が苦しむことが何 より辛い。人を幸せにする、それがメイドロボにとっての存在意義だからな」

 メイドロボの存在意義?

 もう、志保には何が何だかわからなくなっていた。メイドロボは、単なる機械、道具なのだ。 それが苦しんだり、それに存在意義があったり、まったくわけがわからない。

「ヒロ……ごめんけど、私には、ヒロの言ってることがさっぱり分からないわよ」

「……ま、そうだろうな。俺だって、ついこの間までは、こんなことなんて考えもしなかった」

 いや、ヒロなら、きっと考えなくても実行してた。マルチに対する態度は、他の女の子に対する 態度と何一つ変わらなかったし、当然それは他のメイドロボに対してもまったく変わらないのだろう。 それはヒロだから、当たり前なのかも知れない。

「だが、俺は気付いちまった。メイドロボが、人間よりも優れてることに。人間じゃないから、 人間よりも人間のことを考えていることに。そして、俺は、セリオを……」

 志保にとっては、それは例え知っていても、何度聞いても聞きたくない言葉。

「セリオを好きになった」

 残酷な構図だった。志保は浩之の話を理解するためには、何度もその聞きたくない言葉を聞かなく てはいけないのだ。

「好きな人が苦しむ姿なんて、見たくもないだろう?」

 そう、私は見たくない。ヒロが、胸を押さえてうずくまる姿なんて。メイドロボのために苦しむ 姿なんて。

 好きな人が、苦しむ姿なんて、見たくない。

「だから、家では我慢するしかないのさ。もっとも、お前らにも見せたくはなかったんだが、ふい をつかれた格好になってな。まあ、油断してたところはあった」

「そんなの……どうして……」

 志保にも言葉がまとまらないのだ。浩之が、メイドロボ好きになった過程はまったく分からない が、好きになれば、全力を持って浩之はそのセリオとかいうメイドロボのために動くだろう。

 どうして?

 どうして、ヒロはメイドロボのために苦しんだりするの?

 どうして、その姿を、私に見せてもそのメイドロボには見せようとしないの?

「だから、メイドロボが1番苦しいのが、人間が傷つくからだって言ってるだろ」

 その言葉に、急に志保の頭の中で一つの答えが出る。

 それは……ヒロだからに決まってるじゃない。

 そこにいるのは、私もよく知っているヒロなのだ。あかりが、全てをまかせた相手なのだ。

 ヒロの魅力は何?

 知っている、色々あるが、1番の魅力を、志保もあかりほどではないにしろ、知っている。

 ヒロは、優しいのだ。

 そして、もし他人のために動くとなれば、それを止めれる人間なんて、この世にいないのだ。

 誰よりも、わがままに人を助ける。誰のためになんて言葉を必要とせずに、ただ助ける。

 メイドロボだから、ヒロがその精神病に甘んじたり、痛みを我慢しているわけじゃない。ヒロ にとっては、どれも一緒なのだ。

 メイドロボでも、ヒロは優しさを変えたりしない。

 そういう、バカなところを、私も好きになったんだから。

 今なら、志保にもあかりが言おうとしたことのほんの1部分でも理解できた。

 あかりは、知っているのだ。ヒロの優しさは、何物にも分け隔てないことに。もし、それがセリオ というメイドロボに向けられれば、人間と同じようにヒロが優しくすることに。

 志保は、目を細めた。

 何て、ヒロはかっこいいんだろう。他人のものになると分かっているのに、何で、こんなにヒロが かっこよく見えるんだろう。

 志保は泣きたくなった。だが、それを押さえて、何とかいつもの声を取り戻す。

「……で、私に何かできることないの?」

「……志保?」

「悪友がよく分からないとは言え、変な病気にかかってるんなら、それを見殺しにするほど志保ちゃん は冷たくないのよ。で、何かできることないの?」

「……ありがとうな、志保」

「ふ、ふん、感謝するんなら、今度ヤックでもおごることね」

 ヒロに感謝されるのが、こんなに嬉しいと知っていれば、もうちょっと早くやっていたのに。 あかりも、教えてくれなかったところを見ると、ここは譲れない所なのだろう。

「ああ、また落ちついたら、ヤックでもおごってやるよ。じゃあ、難しいと思うが、一つだけ俺の 言うことに従ってくれ」

「何よ」

「メイドロボを、人間と対等として見てくれ」

 浩之の予想では、「何よそれ」という言葉が返ってくるはずだったが、志保の言葉は違った。

「分かったわよ、メイドロボを人間と対等に見ればいいのね」

「……いいのか?」

「いいも悪いもないじゃない。それが、その何たらって精神病に効果あるんでしょ?」

「……ああ、俺の考えが正しければな」

 一人でメイドロボを対等に考えるのは難しい。しかし、それが二人、三人と増えていけば、それ の達成は意外に早まるのではないか。浩之はそう考えていた。

 ただ言った程度で、どれだけそう思えるかは別にしても、考えないよりはましだ。

 だめもとの行為なのかも知れない。浩之はそこまで分かっていても、一つでも多くの布石を置いて おくつもりなのだ。

 だが、志保にとっては、それは、実はそんなに難しくないことなのかも知れない。

 ヒロを、あかりや私を蹴落として好きにさせたんでしょ。なめるなって方が無理よ。

 ライバルとして認めれば、十分対等に見ていることになるだろう、と志保は思ったのだ。

 自分の好きな相手を落した相手だ。見下すには恐ろしい相手だ、と志保は考えた。それが、対等に 見ているかどうかは、まだこの段階では分からない話だった。

 まばらに、校舎に向かって歩いてきている生徒達がいる。そろそろ、学校が始まりそうだった。

 

続く

 

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