銀色の処女(シルバーメイデン)
「ですから、私にはすごく苦しい」
まあ、メイドロボの考えることが私に全部理解できるとは思ってないけどさあ……
愛しているのに、その愛している相手に愛されるのが苦しいなんて、志保にはさっぱり理解でき ない話なのだ。
何よ、やっぱり私の頭が悪いっての?
志保の理解を超えるところを、今日は何度見ただろうか。説明されても、にわかに信じられない し、説明されなければ、当然わからないようなことばかりなのだ。
私の頭がいいとは言わないけど、それにしたって、今日はおかしなことが多過ぎる。
「どうしてよ、あんた、ヒロに愛されてるんでしょ?」
「……はい」
「何、もしかして、ヒロの愛がいつまで続くか不安なの?」
志保もそういうことはあるかなと思えた。相手が浩之なのだから、よってくる女の子は沢山いる だろうし、浩之は浩之で態度が微妙なところがあるので、恋人から見れば気が気ではないのかも知れ ない、が、最終的には浩之は浮気はしないだろう。その気の多さよりも、その優しさの方が勝つで あろうから。
ましてや、他人にまで「愛してる」と口に出して、それを撤回するような浩之ではないことは、 浩之の知り合いならば誰でも知っていることだ。
「そういうわけではありません」
「だったら、もしかして、ヒロ本人からはそんな言葉聞いてなかったとか?」
「いえ、浩之さん本人からお言葉をいただきました」
「だったら……」
ますます訳が分からない話になっていた。セリオが何故か不安な、いや、不安というよりは、 それは身を引き裂かんばかりの苦痛なのは、見ていても感じることができる。
表情は変わらないが、それだけの話だ。志保は、セリオのその苦痛が感じれる。
「本当を言うと、私には、ここにいるのが苦痛でなりません」
「ここって、ヒロん家にいるのが?」
「はい」
浩之を嫌っているわけでもない。浩之の愛に不安を感じているわけでもない。そして、浩之に 愛されていないわけでもない。
それなのに、セリオは何故か苦しそうなのだ。
これは、何かもっと繊細で微妙な感情ってやつなのかな?
もしそうだとすれば、メイドロボを作った研究者は、天才かも知れないが変態だ、と志保は確信 を持った。
わざわざそんな他人から理解できないような思考回路を作るのが間違っているのだ。あまりにも 単純なのもどうかとは思うが、ある程度は単純な方が幸せに生きれる、と志保は思っていた。
単純じゃないばかりに、私みたいに悩んでしまうのだ。
「で、それはどうすれば解消できるの?」
「……は?」
セリオの無表情な顔が、志保には一瞬間の抜けた顔に見えた。もちろん、変化は少しもなかった のだが、セリオが驚いたことは確かなようだった。
「どうやったらその苦痛を解消できるのかって言ってるのよ。だいたい私はヒロの苦痛を……っと」
そこで、志保は言葉を止めた。胸の痛みのことはセリオには言わないでくれと浩之に言われて いたのを思いだしたのだ。
でも、それを言うと、私ヒロから全然そこらの詳しい話聞いてない……
セリオが、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』についてどこまで知っている のかとか、それの詳しい病状とか。セリオにそれについてはどう接していいのか。
……私がボロ出したら、教えなかったヒロが悪いのよ。
志保は、とりあえず浩之の胸の痛みの話だけを伏せて、後は全部セリオが知っているというつもり で話すことにした。
知らなかったら知らなかったときだ。私の知っていることを、もちろん胸の痛みだけは伏せておく が、全部話そう。
なるべく多くの人が知っている方が、よりいい答えが出るわよね。3人よれば文殊の知恵って 言うじゃない。
「セリオは『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』を知ってるの?」
「はい」
「だったら……ん?」
志保は、ぽんと手を叩いた。
「なるほどね。そうか、それを知ってれば、苦しいのも分かるわ」
志保は、やっとセリオが何に苦しんでいたのかが分かった。
セリオは、自分が浩之の負担になるのを嫌がったということが、やっと理解できたのだ。志保には 相思相愛な浩之とセリオがうらやましく見えていたので、そんな簡単なことを見落としていたのだ。
確かに、それって、例えばあかりとかだったら、絶対に我慢できないと思うけど……
あかりは、浩之の負担になることを極端に嫌う。助けてもらったときは喜ぶが、それはあくまで 負荷効力だったときだ。だいたいは浩之に助けられるような失敗を犯した自分を責める。それでも、 顔がほころぶのは、それよりもただただ浩之の優しさが嬉しかったからだ。
しかし、私は違う。
「つまり、ヒロの負担になりたくないってわけね?」
「はい、そうです」
志保には、そのセリオの無表情なのに固く思いつめた表情が、ひどく滑稽に見えた。
「でも、それって変じゃない?」
私は、違う。私はそんなことは思わない。
「ヒロって、はっきり言ってバカがつくほど優しいじゃない。これって友達の受け売りなんだけど、 その優しさがあいつのいいところなんでしょ。だったら、全部ヒロにまかせちゃえばいいじゃん」
もっとも、友達、あかりの言い分とは少し異なる。あかりは、だから極力浩之には迷惑をかけない ようにして、自分は、その手助けができればいいと思っているのだろう。あかりの選んだ選択は、 浩之の優しさを、なるだけ邪魔せず、助けて、もっと浩之に魅力的になって欲しい。そういう思いが 込められているのだ。
志保は違った。志保は、そんな悠長に待てる性格ではなかったし、それをどこかおかしいとさえ 思った。
ヒロの魅力が優しさなら、それに乗りかかっちゃえばいいんだ。
「愛してるんなら、何で全部ヒロにまかせられないのよ。ヒロのことを、本当に信頼してたら、 私は苦しくないと思う」
好きなのに、近寄れば相手が苦しむ。実に悲劇の様相を直進しているような状態だが、志保は それでも自分は平気だろうと思えた。他の人ならともかく、相手が浩之なら。
「前もおかしいと思ったけど、相手のことを思って、相手に迷惑にならないようにするのもいいけど、 それだけじゃなくて、相手に寄りかかるのも、私は愛だと思うわよ」
それを聞いて、セリオはまるでまさしく電池が切れたオモチャのようにピタリと動きを止めた。 もとから動いていたわけではないのだが、今度は本当に「止まった」と感じれた。
セリオが動きを止めたことにより、志保は我に返って、急に恥ずかしくなって顔を赤らめた。 自分がえらそうにこんなことを言っていることと、そして、愛などという恥ずかしい言葉を使って いたことに、今さら気がついたのだ。
「え、えっと、何私えらそうに言ってるんだろ」
そう言って、志保は照れたようにそっぽを向いた。いつもの自分はこんなのではないのに、 いくら非常事態とは言え、いつもの自分自体と変わることに、どこか気恥ずかしさを覚えた。
そして、志保は降り返ったときにぎょっとした。
セリオは、無表情のまま、涙を流していた。
「セリオ……?」
メイドロボが涙を流すのは、マルチがいるので何度か見ている。しかし、それとは何か根本的に 違うのでは、と志保は思っていた。
その通り、違うのだ。セリオは、涙を流すなどというプログラムはされていないのだから。
「そうです、その通りなんです」
セリオは、泣きながら、嗚咽で声が変わるわけでもなく、口調が変化するわけでもなく、ただ瞳 から雫を流しながら、悲しんでいた。
いや、苦しんでいた?
「私には、それができないのです」
できれば、どれほど楽だったろうか。いや、それはそれで苦しいだろうが、それでも、浩之さん と一緒ならば……
「私は、一度選んだ。メイドロボとして、人間の方を苦しめるぐらいなら、その場から、この世から 自分が消えることを選ぶのではなく、一人の個人として、人間の方を苦しめながら、一緒に生きる道 を選んだのです。メイドロボでありながら」
「……悪いことじゃないわよ、それは」
ロボットだから、そんな言葉に、ヒロは捕われない。ヒロが捕われないなら、私も一緒。好きな 人と一緒にいるためなら、ロボットだからなんて理由、捨ておけばいいのだ。
「いえ、悪いことなのです、それは」
ほんの少しセリオが声を荒げると、それにつられるように、志保も声を荒げた。
「どこが悪いことなのよ!?」
「愛するということが、です」
「んなわけないじゃない。結果はともかく、愛するってことは、他のどんなことよりいいことよ!」
「いえ、1番の罪悪です。人間の方を、一人の人格として、愛してしまうことは、自分と人間の方を 同格に置いてしまうことは、私達メイドロボにとって、1番の罪悪です」
セリオの言うことは志保には半分も意味が伝わっていなかった。それもそうだろう、志保もある 意味、メイドロボを低くなど考えていないのだ。
「ましてや、それが人間の方を、それも、愛してしまった方を苦しめることになるなど……私には……私には、我慢できないのです」
そう、それこそが、1番の罪悪。
自分のために、自分が我慢できないことで、苦しむ。
『私』こそ、メイドロボにとっての1番の罪悪。
そして、今だにセリオはそれを開き直って、受け入れることができない。
そして、涙を流しながら苦しむその姿は、志保にはまったくロボットを、作られた物という感覚を 覚えさせなかった。
「いいじゃない、ヒロに、迷惑かければ」
「……メイドロボにとっての存在意義は、人間の方を、幸せにすることです。それは、決して、 自分自身のためではあってはいけないのです」
志保は、その言葉で、何かに自分が気がついたと思った。
志保も、あかりも、浩之も、人間は全て自分のために動いているのだ。求めるものと結果が違う だけで、その理由は「自分のため」なのだ。それは存在意義とか、そんなものではなく、ただそういう 風に人ができているだけの話だ。
だが、メイドロボは、そうではない。
彼女達は、最初から、「人のため」に生きているのだ。そして、プログラムでどう作られたのか は知らないが、それを存在意義と彼女達は認識している。
優れている?
ヒロは、セリオのことを、人間より優れていると言った。でも、それは本当?
苦しむ、そして悩むセリオを見ながら、志保も迷っていた。
それは、本当にいいことなの?
志保にはその判別はつかない。ただ、セリオが、メイドロボが、少なくとも志保の考えとは 違っていることだけは認識できそうだった。
でも、一つだけ、これだけは私にも分かる。
対等に見れるとか、友人になれるとか、そういうことは志保は少しも考えなかった。
分かったのは一つ。
セリオは、人間とは違う。絶対に。
続く