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銀色の処女(シルバーメイデン)

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「メイドロボにとっての存在意義は、人間の方を、幸せにすることです。それは、決して、自分 自身のためではあってはいけないのです」

 志保には、セリオに対する劣等感も優越感もなかった。

 ただ、目の前にいるのは、自分と違う「人」だ。自分とは、完全に意見の違う、そして話し合い をしたところで、その差がうまるわけもない他人だ。

 劣等感……ねえ。

 浩之が志保に言ったことは、志保にもさっぱり納得できなかったが、今になると、浩之の言った ことはやはり違うのではないか、と思えてきた。

 どこが、人間よりも優れているのだろうか?

 自分のためと言えない、そして自分のためにできないメイドロボ。なるほど、志保が思っている メイドロボとは、まったくかけ離れたものではあった。志保としても、メイドロボのくせにという 理由はもう二度と使うことはないだろう。

 だが、だからと言ってメイドロボに劣等感を抱くとは、到底思えなかった。

 セリオは、確かによくできていると思う。もう、一つの人格と見てもいいと思う。

 しかし、優れているとは、彼女の口から話を聞限り、信じられない。

 自分との意見の差なのだろうか? それとも、人間とメイドロボの差?

 ヒロはそれを優れていると判断したみたいだけど……どこが優れているのか、さっぱりわからな かった。

 むしろ、あかりを見てるよりもはがゆい。

 あかりがヒロに迷惑をかけたくないのは、もちろんヒロのためであるが、そこにはれっきと して「浩之ちゃんにもっと魅力的になってもらいたい」という欲求があってこその行動だ。

 ヒロの優しさも、その人のためと言うよりは、自分が助けたい、自分がどうにかしたいという、 ヒロの意思があってこそだ。

 こんな、最初から「人のために」という姿は、私にはすごくはがゆい。

 これが人間だったら、志保にとっては何を綺麗事を言ってるんだと思うところだった。

 だが、相手は人間ではない。メイドロボだから、いや、「メイドロボのくせに」、彼女達は 最初から人のために動くのだ。

 それ自体は、すばらしいことだと思う。どう動くにしろ、自分のためにする人間ならまだしも、 その前提のないメイドロボが言えば、それは完全なる献身だと思える。それがプログラムの結果に よるなら、なおさら他の邪念は入る余地がない。

 でも、それが人間の志保にはどうしてもおかしいと感じてしまうのだ。

 それが、劣等感の現れなのだろうか?

 志保は、胸を押さえてみたが、浩之が感じたような痛みは襲ってこない。

 私は、メイドロボをもう見下してはいないと思う。でも、まだ受け入れてもいない。

 胸のもやもやは、決して『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』のせいでは ない。志保自身として、それを理解できないだけだ。

 人のために動くメイドロボ、それは、人よりも優れている?

 その浩之の話の大前提が、志保にはうまく飲み込めないのだ。喉の奥で、ひっかかったまま、 志保の頭の奥で疑問を投げかけ続けている。

 そして、ヒロがそれに劣等感を抱いているとすれば……ヒロは、何の邪念も無く、ただ人のために なりたいと思ったの?

 そんな浩之を、志保は愛したわけがないのだ。

 『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』が嘘だとは思わない。きっと、そういう 実験結果なり、証拠が出ているのだと思う。でも……

 でも、本当にヒロはメイドロボに劣等感を抱いているの?

「ましてや、自分の「ため」なんて行為、私達には……辛すぎます」

 セリオは苦しそうだった。メイドロボにとっては、それは本当に辛いことなのだろう。私から すれば、おそらく、あかりを裏切ってヒロを手に入れること以上に辛いことなのかもしれない。

 言わば、究極の選択を選ばされているのだ。

 プログラムで、そうなっていると思えば、自分のためにメイドロボが動けないのも志保に理解 できないわけではない。むしろ、志保にはそれがプログラムのせいには見えなかったが、ある意味 人間よりは単純にできるであろう感情を考えると、人間よりは趣旨が一貫しているだろことを予想 できる。それがメイドロボにとって不変の、一貫した考えの一つなら、メイドロボが自分のために 何かをできないのは、おかしなことではないような気がした。

 メイドロボが人のためにしか動けないという前提が、やっと志保にも見え出した。

 後は、対等に見るってことだけど……

 優越感や劣等感を感じるか、と言われると、志保はそれを少しも感じなかった。ここまで複雑 にできているのだ、むしろ、よくできてる、いや、十分対等以上だと思えた。

 劣等感など、欠片も見当たらない。

 ヒロの考え方は面白いと思うけど……どうして、メイドロボに、まあ、私はセリオしか知らないけど、 劣等感を抱くと思ったのだろうか?

 ただ何の邪念もなく人のために動く。素晴らしいことだとは思うけど、ヒロがそれを求めている わけがない。普通の人間なら、もしかしたらそういう無心の献身にあこがれるかも知れないけど、 私はそんなことはないし、ヒロにもないと思う。

「……ねえ、セリオ。ヒロのことだから、セリオが傷つくのも耐えれないんじゃないの? あいつの 場合、それだったら、どんなに好きでも、距離を取ると思うけど」

「いえ、浩之さんは、自分の傷つくのもかまわずに、私をそばに置いてくれました。私のために、 私なんかのために……」

 やっぱり。

 志保は口ではああ言ったが、浩之がそんなことをするとは絶対に思えなかった。

 確かに、ヒロは単なる自分の片思いだったら、潔く身を引くだろう。それは、相手のためとか そういうのではなく、ヒロの自分に対する誇りのようなものだ。

 だが、相手もヒロのことを好きで、もしそれがヒロに伝わったなら。もし、それで例えば相手が 治るはずもない、伝染力の強い病気にかかっていたなら。

 ヒロは、迷ったりしない。例え、その病気によって自分が死ぬとしても。そのことで、よけいに 相手が苦しむとしても。

 それは献身じゃない。ヒロのは、献身じゃない。

 ヒロは、自分のために動いているのだ。死ぬことは確かに自分の利益ではないのかもしれないが、 そこにただ死ぬという結果が含まれているだけだ。

 ここまでの浩之の動きが、志保にある核心を持たせた。

 ヒロは、やっぱり無償の献身をしたいわけじゃないし、目指してもいない。

 セリオの感じている「私のために」は、おかしな話だが、被害妄想だ。

 ヒロはヒロのために動き、ヒロのために生きたり死んだりする。

 『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』が、メイドロボに対して人間が劣等感 を感じているから起こる病気なら……

 志保の、自分でもそんなにできが良くないと思っている頭が、多くの式から、一つの、かなり 確信めいた答えを導き出した。

 

 ヒロは、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』にかかっていない。

 

 トゥルルルルルル、トゥルルルルルル

 そのとき、玄関の方で、けたたましい電話の音が鳴り響いた。

 トゥルルルルルル、トゥルルルルルル

 その音を聞きつけて、浩之が2階からわざとドタドタと音を立てながら降りてくる。自分に 聞かせたくない話をしているなら、やめろと言いたいのだろう。

 前も思ったけど、この家って何で玄関先に一つ電話があるだけなのよ。

 志保は全然関係ない不満を覚えながら、セリオと一緒に、つられるように扉を開けて、電話の 方を見た。丁度、浩之が受話器を取るところだだった。

 ほんと、バットタイミングよね。

 志保は、そう思いながら、電話の先の相手をとりあえず呪っておいた。

 

「もしもし、藤田ですが」

『あ、藤田君かい? どうも、長瀬だ』

 電話の向こうから聞こえてきたのは、最近よく聞く声だった。

「ようおっさん、何か用か?」

 もちろん、セリオのことがあるので長瀬と連絡を取らなくてはいけないことは多い。おそらく、 今回も検診や、その他の、結局『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』に関する 話だろうと予測をつけた。

『用と言うか……本当に関係あるかどうかはよく分からないのだが、一つ、気になることがあったの で君に報告しておこうと思ってな』

 ゾクッ

 その長瀬の、別に何も含みもない言葉に、浩之は何かとてつもなく嫌なものを感じた。それは 長瀬が何かをしようとしているとかではなく、その話に、何か非常にきなくさいものを感じたのだ。

 一番最初、セリオ送られてきたときに感じたものとは、はっきり言って次元の違う嫌な感覚だ。

「……何だ?」

『研究所では、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』に関することはほとんど 研究しているし、私も目を通すことにしている。その一つに、病気として鋼鉄病に近い症状を探して いるものがある』

「……で?」

 浩之は、その話に、乗り気にはないれない。むしろ、今すぐに切ってしまえと心の中で自分が ささやきかける声が聞こえる。

 しかし、いくらきなくさいものを感じても、嫌な予感がしても、それを聞かなければ対策が 立てれないのも確かなのだ。

『さすがに全国の病院を調べても私が目を通すことはできないが、例えば君の町の病院で同じ ような症状を発見したら、すぐにでも報告してくれと頼んではいる。今まであまり似た症状の患者 はほとんどいなかったのだが、今回酷似した症状を持つ患者がいたらしく、すぐに私に連絡が あった』

 前置きを置けば置くほど、浩之は不安にかられる。

「……それで、俺に報告したいことって何だ?」

『その患者は、メイドロボを持っていない』

「何か解決策にむすびついたのか?」

 それは希望の一つだが、それなら何故自分が嫌な予感がしているのかが、説明できない。今まで、この嫌な予感が外れたことはないのだ。

『そのまでの研究は進んでいないが……問題はそこじゃない。悪い知らせだ』

 長瀬の口調は、別にきつくも何ともなかったが、言った言葉の内容は、浩之を、その場に凍りつ かせた。

『その患者の名前は、神岸あかり。君の幼なじみだ』

 

続く

 

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