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銀色の処女(シルバーメイデン)

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『あら、浩之ちゃん。今日も来てくれたの?』

 インターフォンに出たのはあかりの母親、ひかりだった。普通の人ならあかりと聞き間違えてしまいそうになるほど声が似ている。

「どうも、あかりの調子はどうですか?」

 浩之がそう聞くと、インターフォンが切れて、すぐにひかりが玄関から出てきた。

「風邪はまだ治ってないみたいだけど、とりあえず重い病気じゃないとは思うわよ。まだ熱があるから学校には行かしてないけど、けっこう元気が余ってるようだし」

「そうですか」

 ひかりの態度には、別に演技の部分はない。もっとも、今度精密検査を受けるとは聞いているはずなので、おそらくは演技なのだろう。実際に、重い病気だとは思っていないのかもしれない。

「いや、知り合いがあかりを病院で見たって言うから……」

「ええ、今日行って来たのよ。一応明日精密検査を受けることになってるみたいだけど、普通危険な病気なら明日なんて悠長なこと言わないだろうし、ひどくてもきっと肺炎ぐらいね」

 そういうことを優しそうな笑みで言われると、何かおかしなものを感じる。実際、ひかりは浩之から見てもかなりおかしな性格をしているのだが。

「それじゃ、今日もあかりのお見舞いに来てくれたの?」

「ええ、まあ、一応……」

 浩之の歯切れが悪くなるのは仕方のないことだ。もし会ったとしても、考えてみれば鋼鉄病の判別などできようはずもないし、何より、分かったとしても、浩之は何もできないのだ。

 自分の無力さを実感するために、浩之はここに来たわけではないのだ。

 ならば、何のために来たのかと聞かれても、答えようがない。ただ、来ないよりは来た方がいいに決まっている、そう思っただけなのだ。

「じゃあ、遠慮せずに入って。浩之ちゃんならあかりに風邪をうつされたりしないだろうしね」

 浩之は風邪をひいた覚えがほとんどないので、あながち間違いとも言えないが、他人の子供を捕まえてその言葉は、なかなかすごい態度だ。もっとも、ひかりにとっては、浩之は第二の子供と言っていい立場ではあるが。

「おじゃまします」

 どこか懐かしい家の匂い。せっぱつまって余裕のないときに、こんなことを感じる自分を、浩之はどこか遠くの方でおかしいと思った。

「おばさんは気をきかせてお茶は持っていかないから、ゆっくりね」

「おばさん……」

 浩之はじと目というか、苦笑した目でひかりを見る。昔からこの人が苦手な理由は、こうやってことごとく自分とあかりを近づけようとする態度にも要因があった。

「冗談よ、冗談。もちろん、浩之ちゃんならいつでも大歓迎だけどね」

 一人娘の部屋に男を入れる母親の態度ではないのは、先刻承知だが、何故けしかけたりするのだろうか?

「じゃあ、ごゆっくりね」

 応援ともつかないひかりの声を背に聞きながら、浩之は階段を上がりはじめた。

 おばさんは、俺とあかりとくっつけさせたいのかなあ。

 そんなことが起こるわけがないのは、昔から知っているひかりなら知っていてもおかしくないだろうにと浩之は思う。

 昔から一緒にいたあかり。でも、だからと言ってまわりの言うような浮いた話があるわけではない。血の繋がりがなかった分、より一緒にいることを拒まなかった二人。

 そう、血が繋がらないが、あかりとは兄妹と言ってもよかった。きっとあかりはお姉さんぶって姉弟と言うだろうが、俺は絶対に兄妹だと思う。

 あかりは家事とか、そういうところはしっかりしているが、どこか儚い。

 自分が守ってやらなくては、と思ったことは何度もあった。そして、今回ほど、それを切に思ったことはなかった。

 守れるものなら、この身を呈してでも……

 ……いや、好きだからとかそういうのではない。俺は、あかりのことを肉親のように……

 胸の痛みは、どこか違う場所で浩之を襲っていたのだろうか?

 他の女の子のために身を呈してしまったら、セリオはどうするのだ。俺は万能じゃない。一人を助けることができたとして、同じようにもう一人も助けれるか?

 ここは、俺は出るべきではないのか?

 浩之は、それこそ、物心ついてから生まれて初めて、助けることを躊躇した。

 セリオのために、この身を……

 ズキンッ!

 今度こそ、間違いなく浩之の胸が激痛を発し、浩之は階段の手すりにしがみついた。

 セリオのために、この身を犠牲にするべきではないのか?

 ズキンッズキンッ!

 うずく胸の痛みを、浩之は階段の中腹で、必死で押さえて耐える。

 何で、セリオのためにこの身を呈することを邪魔するんだ!

 その叫びに、浩之の身体はまったく返答もせずに、ただ胸だけを痛める。

 くそったれ、俺に、あかりを助けろって言うのか!?

 それは浩之にとっては本意。だが、そのためにセリオを助けられなかったとしたら、それは本末転倒なのではないかという気持ちが抜けない。

 浩之は、自分の限界を知っているわけではなかったが、少なくとも、まわりが、あかりや綾香が思うよりはよほど低い自分の限界ぐらいは理解していた。

 きっと、このままあかりに会って、俺がどうにかなればあかりを助けれると知ったら、俺は助けてしまう。

 美しき、あの銀色の処女とは俺は違う。全ての人のために動いているわけではない。

 俺が動くのは、存在意義とかだからじゃない。

 

 俺は、俺の意思で助けたいのだ、俺に関わる全ての人を。

 

 おかしなぐらい、胸の痛みは消えていた。余韻さえ残さずに。

 浩之は、階段の中腹にうずくまるようにしてすわっていた。階段から落ちるという、ギャグのようなことはせずに済んだようだった。

 俺は、俺のしたいことを忘れていたのだろうか?

 身体が軽くなっていた。痛みとともに、今まで胸の奥でもやもやしていたものを、どこかに置き忘れてしまったような気持ちだった。

 セリオは関係ない。俺は、いつも自分のやりたいようにやってきたじゃないか。

 あかりに会おう。そして、あかりを助けれるものなら、助けそう。

 この身を呈しても?

 違う、俺は今まで一度だってこの身を呈したことなんてなかった。

 俺が、助けたいと思うから助けるのだ。わざわざ何かをかけなくてはいけないような危機になど、一度も遭ったことはない。

 呪いが解けたように、浩之はすがすがしく感じていた。

 ただ、一つだけ気になるのは、今の浩之の頭の中には、少しもセリオのことがよぎらないことだ。意識して考えても、まるで割りきったようにまったく何も感じない。

 俺って、最低の男かもな。

 好きな相手のことを忘れ、他の女のところに向かおうとしているのだから。

 だが、何故かおかしなことに、笑みさえ浮かべていた。いつもの、そのやる気のさなげな顔が戻ってきていた。

 いや、これはやる気がないんじゃない。俺の自信の現れだ。

 やはりやる気なさげに、浩之は階段をあがって、あかりの部屋の扉を叩いた。

「あかり、入るぜ」

「どうぞ、浩之ちゃん」

 よく聞きなれた声だった。今は少し潤んだようにも聞こえる。まあ、風邪なのだからそういうこともあるだろう。

 浩之は、何の遠慮も無く扉を開けて部屋に入った。

「よう、元気そうだな、あかり」

「病気で学校休んでるのに、元気はないと思うけど、あんまり調子は悪くないよ」

 そこには、顔を少し赤くしたあかりが、昨日と同じようにベットに寝ていた。

「それだけ言う元気があれば、明日には学校に来れるか?」

 浩之としては、別に明日あかりが病院に行くことを知っているのを隠したわけではなかった。たまたま第一声がそうなっただけだ。

「うーん、明日も病院行って精密検査を受けなくちゃいけないみたいだから」

「知ってるぜ。長瀬のおっさんから聞いた?」

「長瀬さん? えーと、誰?」

「ほら、マルチやセリオの製作者のおっさんだよ」

「あ、思い出した。でも、何で長瀬さんが私が病院に行くことを知ってるの?」

 もっともな質問である。浩之も、それを疑問に持たせるためにわざわざそんなことを言ったのだ。

 浩之は、自分のモットーを忘れていた。モットーと言うよりは、自分が思うように行動した結果というやつなので、いつもはあまり意識はしていないのだが。

 助けるときは、絶対に途中でやめない。

 そして、助けるときは教える気もないが、別に隠す気もまったくない。

 俺は、正体を隠して人のために悪の組織と戦うヒーローではないのだ。

 そして、その方法だって、こだわったことは一度もない。

「あかり、今から俺の言うことをよく聞けよ」

 真面目にというより、どこか面白がっている感じさえいた。この後のことを考えれば、苦しむことはあっても、楽しいことなど絶対ないはずなのに。

「う、うん」

「俺の言うことは、おそらく寝耳に水みたいに聞こえると思うが、それでも本気で受け取る気があるか?」

 あかりは、少し首をかしげながらも、こちらは真面目な顔で答えた。

「浩之ちゃんが、そう言うなら」

「……」

 そう言うときの、あかりがどれだけ本気かを、浩之も知らないわけではなかった。自分を引き合いに出すときは、少し恥ずかしいが、あかりは本気なのだ。

「じゃあ、よく聞け。あかり、お前は、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』にかかってるかも知れない」

 苦しくなることはあるだろうが。

 浩之は、同じぐらい感じていた。

 苦しくなることはあるだろうが、それを乗り越える力が、俺やあかりにないとは、誰も言えないはずだ。

 

続く

 

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