銀色の処女(シルバーメイデン)
「私が思うに、ヒロって、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』にかかってないんじゃない?」
その言葉に、セリオは無表情だったが、それはいつものことで、驚いていないわけではない。驚きを顔に表現できない話だ。
「そうなのですか? でも……」
「あ、もちろん、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』がヒロが考えた理由でなるならって話だけどね」
おかしな病気に、その理由もおかしいのに、それが正しかったらなど、正しいわけはないかなと志保も思ったりしないでもなかった。
だが、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』のことが本当かどうかとか、それが浩之の言った、人間がメイドロボに感じる劣等感から生まれるとか、そういう部分を置いておいても、志保には確信が持てる話が一つだけあった。
「ヒロは、人間がメイドロボに劣等感を抱くって言ったのよね?」
「はい、そうです」
セリオがどういうことを考えてその浩之の言葉を理解しているのかはさっぱり分からないが、かなり信じているのは確かなようだった。
私もヒロの話を信じないわけでもないけど……でも、おかしいのよね。
「ヒロが、メイドロボ、ううん、セリオに劣等感を抱くと思う?」
「それは……」
セリオは、何故か言いよどんだ。志保には理解できなかったのだが、それはセリオにとっては、許せない、いや、本当にあって欲しくない話なのだ。
「そんなことは、あってはいけません」
だから、そういう意味で言った言葉のニュアンスまでを志保は受け取らなかった。むしろ、今必要なのはそこではないのだ。
「私が聞きたいのは、そうじゃなくて、セリオがそれを本当に信じているのかってことよ」
「……嫌ですが、認めざるを得ないと思います」
「ふーん」
志保は、少し拍子抜けした。
ヒロが好きになったって言うから、どんなにすごいかと思えば……
最初から志保は、浩之があかり以外の女の子と結ばれることを、まったく祝福する気はなかったが、それにしたって、浩之が選ぶのだから、すごい美人であり、人間的にもかなり強い、というのも変だが、とにかくレベルの高い女の子を選ぶと思っていた。志保だって恋愛が顔やお金の条件で全部決まるとは思っていなかったが、理由の一つにはなるだろうし、それぐらいしか想像できなかったというのはある。
しかし、浩之の好きになった女の子は、思ったよりも全然駄目だった。
それは、メイドロボとか、そういうものではない。ただ、浩之の言葉を疑うことを知らなかっただけの話かもしれない。
だが、一つだけ、これは駄目だと志保は思った。
セリオは、思う以上にヒロのことを理解していない。
私やあかりと比べれば、それは歳月の差はあるだろうけど……それにしたって、全然、本当に全然駄目だ。
「セリオ、ヒロは、セリオに劣等感なんて感じるわけないのよ」
「……はい、人間の方がそんなことを感じるなんて、間違ってます」
セリオは、どこか無表情ながらも、思いつめた顔で言った。
だが、その態度は志保にカチンと来させただけだった。
「メイドロボの話から離れるのよ、セリオ」
志保は、いつになく厳しい口調で言った。
「さっきから聞いてたら、メイドロボメイドロボって、そんなにメイドロボが特殊なの?」
志保はまったく気の長くない方ではあるが、完璧に相手を責めることはほとんどない。今は、そのほとんどないときなのだ。
「それは、人間の方と比べれば当然差は……」
「差なんて、人間同士だってあるじゃない。あんた、自分がメイドロボだってことにこだわりすぎてるのよ」
確かにセリオはメイドロボなのだから、こだわるのは避けられないのだが、志保は、ひどい話だがメイドロボではないのだ。だからセリオみたいにこだわる理由を持たない。むしろ、メイドロボだということに対するこだわりは、最初聞いたときはともかく、今はほんの少しもなかった。
目の前にいる美しき銀色の処女は、メイドロボなのが問題ではないのだ。志保にとっては、浩之が選んだ女の子だということだけが問題なのだ。
「だいたい、ヒロが一度でもあんたがメイドロボだってことを責めたことがあるの?」
「いえ、ありません」
セリオは即答した。志保だって、即答されなくても分かっているから、そんなことを聞いたのだ。もしそんなことがあったとしたら、それは志保の知っている浩之ではなく、絶対どっかの宇宙人が成り代わっていると言い切れる。
「だったら、あんたも自分がメイドロボだってことを捨てる、ううん、受け入れるべきよ。メイドロボは素晴らしいと思ってだっていいわよ」
確かに、今は状況があってないだけだと志保は思った。志保はおかしなことだとは思うが、それでも、無償で献身できるのは、素晴らしいことだと思う。
だから、自分がメイドロボであることを責めるようなセリオの態度に腹がたったのだ。
何より、自虐的なその題度を取るセリオを、ヒロが好きになるわけがないのだ。
「あんたも、ヒロに愛されたんなら、ちゃんとそれぐらいになってよね。せめて、ヒロのことをちゃんと理解しなさいよ」
「……」
セリオからは何の反論もない。メイドロボなのだから、もとから人間に反論するようには作られていないのかもしれないが、それを考えなくても、志保の言っていることには一応の筋は通っていた。もちろん、これで反論してくるような者を浩之が愛しているなど、志保は絶対に信じなかっただろうが。
酷なことを言っているという自覚はあっても、志保は止める気はなかった。
「もう一回聞くわよ、あんたの知ってるヒロは、メイドロボに劣等感を抱く人物なの?」
「……」
「どうなのよ」
「……わかりません」
声だけはか細く、今にも消えそうな音でセリオは言った。それでも視線を外さないセリオに、少し違和感を感じながらも、志保は大きくため息をついた。
こんなの選ぶぐらいなら、ヒロもあかりか……私でも選べばいいのに。
まあ、それは言っても仕方のないことだ。それに、浩之は現に好きになっているのだから、いつもはもっと魅力あふれる女の子なのだろうと思うことにした。
「私の知ってるヒロは、そんなことに劣等感を抱いたりしないわよ。そりゃあまあ、すごく人ができてるってわけでもないけど、何も自分がなりたいわけでもないものに、劣等感を抱くほど暇なやつじゃないわよ」
「……だったら、浩之さんは『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』にかかってはいないんですか?」
「理由が劣等感だって言うなら……」
セリオの顔に、志保が今日来てから、初めて表情らしい表情が浮かんだ。それがどういうものだとは、志保には少し説明できないような、そんな表情ではあったが。
「……なら、ヒロは『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』になんかかからないわよ」
それは志保には本当に確信できる。
「だって、ヒロは、無償の献身をしたいなんて思うやつじゃないわよ。あいつは、ヒロは、ヒロの意思で誰かを助けるわよ」
ひどいやつに聞こえないでもないが、それだって人間には、普通の人間にはできることではないのだ。できないからこそ、ヒロは関わった沢山の女の子から好かれるのだ。
……もちろん、顔がいいのもあるけどね。
ヒロは、自分の彼氏でもないのにそう心の中でのろけながら、はっきりと言った。
「劣等感が『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』になる理由なら、絶対にヒロはそんな病気になんかならない」
その言葉の意味を、志保がかみしめるよりも早く、今度ははっきりと、セリオの顔に表情が浮かんだ。もし、それが最初のプログラムでインプットされていなかったとしたら、非常にうまい模倣をしていると思った。
一線の希望の光を見出した、迷える子羊のよう。
詩人でもない志保だが、心の中でそんな言葉を考えてしまうほど、セリオの表情は印象的に写った。
「もし、そうなら、私は……」
感きわまったと言っていいのだろうか、セリオは、顔をおおって、頭を下に下げた。
もし、そうならば、セリオは今この場で壊れてもいいとさえ思った。いや、それは昔からそう思っているのだが。そう、ここで浩之に迷惑をかけてさえいいと思った。
救えるなら、自分が、浩之さんを苦しめないなら、メイドロボとして、一番苦しいことでも、私は……
私は、耐えることができる?
「あれ、でもだったら……」
しかし、志保の頭では、一つの疑問が浮かび上がっていた。
そう、まるで、セリオの気持ちをあざ笑うかのように。ぬか喜びをさせて、また突き落として楽しむかのように。残酷な、神様のように。
でも、だったら、ヒロの胸の痛みは何なのだろうか?
続く