銀色の処女(シルバーメイデン)
このほんの数日の間に、浩之は何度頭をかかえただろうか。問題は、せきとめられていたダムが壊れたように一度に流れてくる。
しかし、浩之は、今は何でもできるような気がしていた。自分が器用なことは知っていたが、残念だなが何か一つにのめりこむことはなく、その部類に没頭している者には勝てない。
だが、今こそ、浩之が今までの人生をかけてきたものなのだ。
助けたい。
人を、ものを、何もかもを蝕もうとする「現実」から。
俺の力で。
それは何度も言うが、メイドロボの「人を幸せにしたい」というものとは完全に反対の意識から来るのだ。そこにあるのは他人ではなく、自分。
だから、浩之は信じて疑わなかった。自分ならば、あかりを助けれることに。
「とにかく、分かっていることは、あかり、お前もメイドロボを一人の人格として認めようとしてるってことだな」
浩之は、簡単に「メイドロボを好きになると鋼鉄病になる」という前提を消した。というより、その中の理由で攻めることにしたのだ。
人間がメイドロボを認めようとするのに、どうしても格下と思ってしまうから鋼鉄病は起こるのだ。裏を返せば、最初からメイドロボのことを見下していればこんな病気にかかったりはしないのだ。
「うーん、そんなこと言われても、私だって一応メイドロボと人間は違うかなと思うよ」
あかりは少しは自覚があるが、まわりが思っているほど博愛主義者ではない。嫌いなものは嫌いだし、嫉妬もすれば、独占欲もある。セリオに関して言えば、浩之が選んだのだから、文句は言うつもりはないが、恨みこそすれ、好きになる要素はない。
「しかし、そうなると俺の考えた理論だと成り立たなくなるんだよな」
今でも自分の理論が間違っているとは浩之は思っていないが、例外があると考えないといけないと思えた。
「例外……例外か」
「どうしたの、浩之ちゃん?」
「いや、例外というより、俺は何かを見落としてるんじゃないかなと思ってな」
物事の理論を考えるときに人がよく起こす過ちがある。まず、今まで起こった事象から、何個か取り出してみて、理論を考えるのだ。そして、その理論を考えた後は、その物事の方をその理論にそわそうとしてしまうのだ。考えた理論と違うときは、それを「例外」と断ずることも多々ある。
浩之の理論の考え方は、それによく似ていた。
しかも、浩之は、セリオや長瀬に聞いたこと以外は、全て一つの結果、つまり自分を見てそれを判断したのだ。
情報量が極端に足りないながら、専門化であるはずの長瀬もうなるほどの理論を展開してみるあたりが才能なのだろうが、それが正しい理由はないのだ。
しかし、それには別のアプローチもある。前も言ったように、物事の方を理論に合わせる、つまり、その理論に合った、まだ見落としていることがないか探すのだ。
この場合は、あかりがセリオを一人の人格として認めようとする原因が何かあるはずだと考えたのだ。
「なあ、あかり。んなことはないとは思うんだが、俺に何か隠してないか?」
「隠し事って、浩之ちゃん、私がそんなことするわけないよ。それに、相手が隠し事しても、浩之ちゃんも私も気付くよ」
「……ま、それもそうか」
隠し事があれば絶対に気付く、二人にはそういう共通認識があった。それは長い間一緒にいたことによって生まれた、いわば信頼関係でもあるし、一つの技術でもあった。
相手の考えていることなど、手に取るように分かるのだ。
「考えてみれば、あかりが俺に隠すようなことってのもあんまりないもんなあ」
「そうだよ」
と言いながら、ついこの間のお弁当の件はあかりは隠そうとしたのだが、当然浩之にはばれてしまった。まあ、これに関して言えば、あまりにもあかりがあからさますぎたというところはあるが。
しかし、あかりがセリオを認めるためには、やっぱり俺をかいしてだろうなあ。
あまりあかりとセリオの接点がないので、唯一の接点である自分に理由があるのだろうと、浩之は漠然と考えていた。
「幼なじみの恋人は、一人の人格として見るには十分か?」
「うーん、どうなんだろ? 私だってそんなこと考えたことないし」
「だとすると……劣等感ねえ……」
あかりがセリオに劣等感を持つ、それは何かあまりないように思えた。あかりは確かに博愛主義者ではないが、それでもかなり人がいいのは確かなのだ。とくに、自分ができないことによる劣等感などは無縁のものだと思ってもいい。
「だめだな、劣等感ってのはどうもあかりには合わん」
「そんなことないと思うけど……」
「いーや、似合わん。今まで一緒に生きてきた俺が言うんだから間違いない」
あかりは、一瞬ぐっとなった。そんなあかりを見たのは、浩之は今まで一度もなかった。
「あかり?」
「そんなことは……ないよ」
あかりは、どこか覚悟したような、それでいてはかない表情で、つぶやいた。
「私だって、セリオさんに劣等感、感じてるかもしれない」
「……何でだよ?」
浩之は、あかりがセリオに対して劣等感を抱く理由が思いつかなかった。
「確かに、家事はセリオはうまくこなすし、料理だってお前とためはるぐらいにはうまい。顔も悪くないと思うが、んなことであかりが劣等感抱くとは思えねえけどな」
「そんなことじゃないから」
あかりは、料理という自分が二番目に自信があるものも、すぐに切り捨てた。
そして、一番自信があることを捨てきれなかった。だから、劣等感を抱いたのかもしれない。自分には自信があるのだ。だから、浩之をあきらめることができる。だけど、それは心からじゃない。
いや、浩之のために、納得することはできる。浩之が魅力的になっていくことが、あかりには何よりも嬉しいのだ。それに完全に魅せられてしまっているのだから。
だが、それは関係なかった。自分は浩之ちゃんの魅力を止めようとしてはいないのだ。それは、単純に、私が言いたいから。私が捨てきれない、浩之ちゃんへの思い。
「だって、私」
あかりにとって、浩之に迷惑をかけることは何よりも嫌だった。それはメイドロボと同じ理由からだった。
だが、あかりはどれだけ人が良くても、それはメイドロボのような「徹底した」ものではなかった。だから、言わずにいれなかったのだろう。それを徹底できるメイドロボでさえ、それを口にしてしまったのだから。
迷惑をかけるのだろう。それを思うと、あかりはめまいを覚えた。風邪かとも思ったが、どうも『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』という、長い名前の精神病の症状らしい、と心の端で思った。
それでも、あかりは止まれない。もう、口は動きだしてしまった。それに、あかりはそれを止めたくもなかった。
だって。
「だって、私、浩之ちゃんのことが好きだもん」
浩之ちゃんに、知って欲しいから。
続く