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銀色の処女(シルバーメイデン)

109

 

「ヒロはね、胸に痛みを持っているわ」

 正直、浩之との約束を破るのは心苦しいところもあったが、反対に、自分にはこれ以外の行動は取れないとも思った。

 というより、これは、私が取るべき行動だ。だって、他に誰もこんなことできないじゃない。

 例えヒロがついているからって、こんなことをあかりが聞けるわけもないし、綾香とかは最初から聞くこともないだろうし、他に誰ができるのよ。

 ヒロ? 却下ね。

 何に目がくらんでるのか知らないし、確かにあかりの言う通り、誰かを助けようとするヒロはほんとに魅力的だけど……

 だからって、これは通らないといけない道よ。

「ヒロは、胸に痛みを持っているのよ」

 優れてるって言うんなら、私や、あかりよりも優れているって言うなら、その証拠を見せてよ。

 少なくとも、あかりと同等ぐらいに、浩之を信じてるってことを。

 だが、それを聞いたセリオの反応は、一瞬はっとしたが、次の瞬間には何故か途惑っているようだった。

「浩之さんが胸に? あの、浩之さんが心臓系の病気に?」

 それは、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』のことだとセリオはわかっているはずなのに、何故か見当違いなことを言ってきて、志保は興ざめした。

 シルバーのときに感じた違和感みたいなものはないが、やっていることは同じだ、と志保は思った。

 今一番セリオが敏感にならなければならないものは浩之が『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』にかかっているかどうかであり、それについてなら、誤解してでも理解するだろうと思っていたのだ。

 だが、ふたをあけてみると、何故かセリオはその可能性を少しも考えていないのだ。

「んなわけないでしょ、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』とかいう精神病のせいに決まってるじゃない」

 それを聞いても、セリオはやはりまだどこか納得してないようだった。

「ですが……」

「ですがもへったくれもないのよ。ヒロだってそんな冗談するわけないでしょ。私の目の前で、胸を押さえてうずくまったのよ」

 演技にしては、あまりにもリアルな光景だった。胸を押さえてうずくまる浩之。自分が声をかけても、肩をゆさぶっても反応がないのだ。ただ、表情だけが苦痛を訴えている。

 あんな姿なんて、あんなヒロの姿なんて、私はもう二度と見たくないのに。

 そんな思いをさせているのに、何でこいつはまるで他人事みたいなのよ。

 本当に浩之のことを好きなのか、志保でなくても疑ってしまいそうだ。

 しかし、セリオは途惑いを消しきれない。志保に言われたので、そのことに気づいてないわけでもないはずだが、まだ納得できていないのだ。

「ですが、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』はあくまで精神病であり、心労による胃潰瘍や、精神的な偏頭痛の症例はありますが、胸に痛みを覚えるという症例は、今のところありません」

「……はあ?」

「私も、一番最初には『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』の症状かとも思いましたが、今までの症例とあまりにもかけはなれています。精神病で胸が痛くなるというデータは持っていません」

「……そう言われると、私もそうは思うんだけど」

 恋焦がれれば、胸ぐらい痛くなりそうなものだが、おそらく浩之の感じている痛みはそんな生易しいものではないと志保は考えていた。

 もっとも、この話は最初からおかしいのだ。だいたい、何でメイドロボを好きになった程度で精神病にならなくてはいけないのだろうか。しかも、まるでとってつけたような胸の痛み。

 もっと言わせてもらえば、今さっきから、セリオはまったく人より優れていると思えない。

「じゃあ、ヒロの胸の痛みって一体何なのよ」

「そう言われましても、私はそのことに今まで気付かずにいましたので」

 セリオは、無表情だったが、表情を曇らせた。顔色や態度で人間の不調を察知できずに、何がメイドロボかとセリオは思っているのだ。

 だが、それも仕方のないことだ。浩之はそれこそ、本当に全精力を込めてそれを隠そうとしていたのだから。セリオが苦しむのを避けるために。

「ヒロは、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』の症状って言ってたわよ。だから、セリオには黙っておいてくれって」

「……」

 セリオは何も言えない。鋼鉄病のせいかどうかはともかく、それに気付かなかったのはショックなのだろう。

 志保は、そう思っていた。だが、それは少し違っていたのだ。

「また、浩之さんは私のために……」

「当たり前じゃない。ヒロは、あんたのこと好きなんでしょ。ヒロが好きな女の子のために動くなんて、当たり前すぎて珍しくもないわよ」

 それが「愛している」の意味でなくても、助けるときには自分の身などまったく考えずに動く浩之なのだ。それが愛する者のためとなれば、想像もできない。

「私は……また、浩之さんに迷惑をかけてしまって。メイドロボである私が、人間の方に迷惑をかけるためにここに存在しているのは、私には……」

 志保には、いまいちセリオのいいたいことがつかめなかった。

「何言ってるのよ。ヒロになら、安心してまかせとけばいいでしょ。あいつなら、確かに手段とか、たまに危ないときもあるけど、きっと何とかするわよ」

「それは……できません。私には、待つことは、浩之さんに全てをまかせて待つことなど、絶対にできません」

「……ねえ、セリオ。はっきり言っちゃうけど、私から見たら、今セリオにできることはないのよ。ただ、ヒロがその問題を解決するまで、一緒にいる以外にはね」

「それはできないんです!」

 セリオは声を荒げた。

「私にはそんなこと!」

 無表情のまま、取り乱すセリオに、志保は大きくため息をついた。

「だったら、あんたに何ができるのよ」

「それは……今私にできることはありません。ですから……私には辛い」

 志保は、もうかなりメイドロボのことを理解したと思っていたのだが、やはり、完全には理解できていなかったのだ。

「私達メイドロボには、迷惑をかけながら、自分が何もしないなんて耐えれません」

「ちょっと、じゃあ、何でヒロと一緒に暮らしてるのよ」

「それは……」

 違和感というものはない。シルバーのようなできそこないとはセリオは違うのだ。だが、それは納得できるタイプのものではなかった。

 そう、矛盾しているのだ。

 ……メイドロボが矛盾?

 それに違和感を覚えなかっただけに、志保は混乱した。

 そう、優れているなんて単語、志保の頭の中には一つも浮かんでこなかった。確かに、浩之のことをよく考えているというのはわかるが、それだけだ。

 そう、まるで感情で動く人間のように。

 ここに来て、志保は浩之と同じ考えにたどり着いた。

 メイドロボは、感情で動いているのだ。でなければ、こんな矛盾した行動など、絶対に取るわけがない。

「私達はどんなに傷ついても、私がこの世界から消えても、それで浩之さんが幸せになってくれるのなら、それが私の本望です」

 それは、何の濁りもない感情。本能にしばられていないからこそできる、完全なる献身。それのできる人間は、狂って生存本能を無くした人間のみ。

 そして、どんなに狂っても、生存本能だけは、人間を捕らえるのだ。

「だから、私には、何もできないのが辛い。浩之さんを苦しめていることが辛い」

 確かに、優れてるわ。

 志保も、それは認めた。本当に、良くも悪くもまったく濁りのない「献身」の言葉を、志保は生まれて初めて聞いたのだ。それはあかりにさえできなかったこと。

 優れている、本当に。人間よりも、この部分だけは本当に。

 でも、それだけだ。

 志保に、やっと浩之の言った意味が理解できた。

 メイドロボは優れている。確かにそうなのだ。ただ、献身という意味においてだけ。

 そんな相手に劣等感を抱いて、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』にかかるなんて、ナンセンスよね。

 志保は、やはり自分の考えが間違っていないと確信した。

 ヒロは、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』なんかにはかかってない。ただ一点優れてるだけの相手に、劣等感など抱けないはずだ。

 だから、もう一つの答えが浮かび上がった。

 ヒロの胸の痛みは、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』のせいじゃないんだ。

 

続く

 

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