銀色の処女(シルバーメイデン)
「話は済んだか?」
「だいたいはね」
志保は、曖昧な言葉を返した。あまり話すようなことはなかったような気もするし、実際浩之に聞かれては困る話をしていたのも確かではあった。
だが、浩之の望むように動いたかどうかは怪しい。少なくとも、メイドロボを対等に見るための話し合いなどという生易しいものではなかったのは確かだ。
ていうか、女の戦いした後って感じだしねえ。
志保はそういうことは大の嫌いなのだが、いかんせん今回は浩之のことがあるのだ。多少の無茶は仕方ないと志保自身も開き直ってはいる。
……と、まずはそれより先に、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』について言わなくちゃ……
志保にとってはセリオに対する浩之の気持ちもかなり重要ではあるのだが、それも問題が解決してからのことだ。
何か、恋敵のために必死になってるような気がしないでもないけど……
どちらにしろ、そこに問題がある限り、浩之がそこに関わってしまったら、その問題を解決しない限りは、浩之はテコでも動きはしないのだ。
もっとも、問題を途中で投げ出すような相手を、志保は好きになった覚えはないので、投げ出されても困るのだが。
だったら、結果として、このやっかいな、よくわからない問題を解決してしまった方がいい。その後でゆっくりヒロから話を聞けばいいのだ。
ゆっくり、などと冷静なことがそのとき言えるかどうかは、今は気にしても仕方のないことだろう。絶対に冷静でなどいれないのだろうし。
「それで、あかりの病状は?」
「今のことろ大丈夫だが芳しくない」
「何よ、あかり、何か変な病気にでもかかったの?」
「まあ、変な病気って言えば変な病気なんだろうなあ」
浩之は、あかりが鋼鉄病にかかったことを言うかどうか少し迷ってから、あまり選択肢はないということにすぐ気がついた。
ここで黙っていることに、どれだけの意味があるんだ。
あかりのこととなれば、志保はまあ今まででも全面的に協力はしてくれたが、今度はそれこそ全力で協力してくれるはずだろう。志保にとって、あかりはそれほど大事な親友だ。
もちろん、あまり趣味のいい方法ではない。はっきり言って、志保がどれだけ役に立つかわからないし、変なことまで教えた場合、ただやる気がからまわりするのは目に見えていた。
それに、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』があかりにまで伝わっていることをセリオに教えるのは、かなり酷なことではないかという思いもある。
今の時点でさえ、彼女からすれば身も引き裂かれんばかりに苦しんでいるのだ。その苦痛を、わざわざ俺が増やす意味があるのか?
ここは黙っておくのが、一番いい選択肢ではないのか?
セリオを苦しめ、志保を急かして、そんなことに意味があるのか?
浩之は、まわりからは優しいといつも評される。それはあまり間違いではないのだろうけれども、浩之本人は、そんなことは一つも思っていなかった。
意味は、ある。
浩之は、本当にセリオもあかりも助けたかったのだ。例え、それがどんなに苦しく、険しい道だったとしても、盲目的になった浩之には見れない。
後悔はする。だが、それもこれも、後悔するだけのことをやってこそ、後悔ができるのだ。
目の前にあるものが、超え難い壁ならば、多少の無茶も仕方がない。
少なくとも、今回のことは、誰かをかばうだけでは、どうにもできない問題なのだ。解決する意思があるのなら、ひどくても、むごくても、その渦中に飛び込まなければならない。
何故なら、それは最初から、誰かをかばうために生まれたものではないから。
「あかりは、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』にかかっているらしい。長瀬のおっさんが言ってた」
「はぁ?」
またわけのわからない話が出た、と志保は心の中で思ったろう。しかし、それも一瞬のことだ。浩之のことならともかく、問題の相手が、あかりとなると話が違ってくる。
「ちょっと、何よ、その突拍子もない話は……」
すぐに声が小さくなったのは、志保が、あらん限りの頭を回転させたからだ。
志保の頭は、何故かあかりが鋼鉄病にかかってしまったということを、すぐに承認した。そして、その理由さえ思いついてしまった。
あかりは、人のためになりたいと思っている。
浩之が浩之のために誰かを助けるのと同じで、あかりは、浩之のために浩之を助けたいのだ。
少なくとも、志保から見ればあかりのそれは、本当にバカがつくような行為だと思えるほど、徹底した献身だった。単純に考えて、一般人が譲歩できるレベルをはるかに上回って、あかりは浩之のために身を尽くしていた。
志保の目からは、完全に献身としか思えない態度。
しかし、そこにメイドロボが関わってくると、話が違ってくる。最初から、人のためになるために生まれてきた存在。その時点で、もうすでにあかりにはハンデがあるのだ。
そして、あかりは人間である以上、生理現象や生存本能から逃れることはできない。でなければ、人間として生きていくことはできないのだ。
だが、メイドロボ達は、それを簡単に捨てれる。いや、もとからそういうものを持ち合わせる必要がないのだ。
純粋に、献身のできる存在。
あかりには、それがどれだけうらやましく写ったのか、私にはわからないけど……でも……
浩之が冗談を言うヤツだということは、志保も十分に承知していたが、今の言葉は冗談ではないことぐらいはわかっていた。
そんな、質の悪い冗談……正気のヒロだって言わないわよ。
要因はぴったりだった。浩之に無く、あかりに有るものが、おさまるべき場所におさまれば、そうなることは予想さえできたはずだ。
そのおさまる場所が奇怪であっただけに、気付けずにはいたが。
「冗談、よね?」
「いや、冗談じゃない。さっきあかりを見てきて、俺も確信した。いや、病状とか、そういう部分じゃさっぱりわからないんだけどな……俺のカンも、俺の洞察力も、どっちもあかりが『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』にかかっていると言ってきた」
志保の受けたショックも大きかったのだろうが、その横で、何も言えないほどに打ちのめされている者が一人いるのだ。浩之としては、むしろそちらの方を放っておけない。
俺が選んで、俺が苦しめてるのにな。
浩之は自嘲しながら、凍りついたままのセリオに向き直った。
「そういうわけだ、セリオ。まだ俺とセリオとだけの問題なら、俺も色々と違う手を考えたんだろうけどな……今回ばかりは、そんな余裕はなさそうだ。俺も、これからは手段を選ばずに行こうと思う」
「……はい」
セリオの声は小さい。もしかして、自分が研究所に帰されるとでも思っているのだろうか?
いや、それは残念ながら、セリオの解決方法であって、俺の解決方法じゃない。だいたい、そんなことをしても、俺はこれっぽっちもうれしくない。
「だから、一緒に徹底的に戦うことに決めたんだ。セリオ、もう容赦はなしだ」
何をすればいいのか、何から手をつけていいのか、浩之にはいまだにさっぱりわからない。だが、覚悟だけはしたのだ。
身の引き裂かれる思いでも、その問題から、もう目を離さないと。
どちらかが、または全員が傷つくことを恐れていたら、出足が鈍る。だから、俺は今回は、それとも今回も? 全力で行く。
「俺はこれから、借りれる力は全部借りるつもりだし、やれることは全部やるつもりし、関わった者には全ての情報を教えるつもりだ。それは、セリオ、お前でも例外なく」
愛する者を苦しめるなんて、間違った行為だ。浩之は、その意見に全面的に賛成するが、もう他に手段がない。自分の力が及ばないのなら、まわりにも力を借りる。そうやって問題を解決することに、浩之は何の抵抗も感じなかったわけではないが、少しも躊躇はしなかった。
「情報を知らないことで、何か見落としていることがあるかも知れない。だから、俺は自分の知っている全てを教えるぞ」
「……」
それは、浩之本人から弱音が聞ける、浩之を知っている者ならおかしいとさえ思える行為だったのだろうか。それとも、これでこそ浩之と思える、強い行為だったのだろうか。
「セリオ、俺は胸に痛みを持っている。どうしようもないぐらいの痛みだ。お前を好きになって、お前を手に入れてから感じるようになった痛みだ」
『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』、彼女ら、銀色の処女達を認めてしまったがゆえに、人間を襲う、苦痛。同時に、まるで彼女らを苦しめるように付きまとう悪魔。
だが、浩之の胸は何故か少しも痛くはならなかった。まったく、本当にまったく。今目の前にいるのがセリオにもかかわらず、本当に少しも。
「ヒロ、それよ」
「どうした、志保?」
浩之の作戦は、少しだけ成果をあげていたのだろうか。そんなものを、浩之は求めていたのだろうか。
「ヒロの胸の痛み、もしかして、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』のせいじゃないんじゃない?」
いや、浩之の目的は思うようにかどうかは別にして、達成されつつあるのだ。
一人ではどうにもできなかった問題でさえ、まったく違う要素を持つ人から見れば、違うように見えることもある。それが役に立つとは限らないが、役に立たないとも言いきれない。
丁度、今のように。
「おかしいじゃない。みんな苦しんでもいいって言ってるヒロが、献身を一番とするメイドロボに劣等感を持つなんて」
そして、志保も浩之の行動を見て確信したのだ。誰かを傷つけてまで、という無謀さが、メイドロボにはないであろうことを。そして、今の浩之が、ほんの少しも、口惜しいという表情をしていないこと。
まさに、我を得たその姿が、あまりにも志保にはかっこよく見えたから。
メイドロボとは異質。そして、分かり合えはしても、同じになることも、同じになると思うこともない。
浩之という、異常な存在は、献身へのあこがれなどという、生易しいものでは満足させれない。
「やっぱり、ヒロは、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』にかかってないんじゃないの?」
志保の、まさに確信を持ったあてずっぽうに、浩之は、なるほど、とうなずいた。
なるほど、その考えは、俺にはできなかったな。
そして、反撃は、いつもささいなことで十分事足りた。
続く