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銀色の処女(シルバーメイデン)

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「俺の胸の中には、あかりがいる」

 そう言って浩之が思ったことは、それは思うよりもしっくり行くということだった。

 いや、いつのころか、本当に小さなころから、それは変わらないような気がしていた。今だけ、ついさっきからあるものではなく、まるで人生のほとんどをそれで過ごしてきたような、そんな感覚に襲われる。

 悪くない、浩之はそう思った。

 それを自覚するのも悪くないものだ。むしろ、思うだけでこれほど力がわいてくる。

 優しいのは、それは浩之本人の力だ。だが、それを今まで支えてきたのは、間違いなく、あかりという、献身というものを目標とする女の子だった。

 それを聞いて、志保はどこか微妙な表情をした。今まで見たこともないような表情だったので、浩之にはそれが何を意味するかまではよくわからなかった。

 嬉しくて、どこか悔しい。志保はそう思っていた。

 あかりが、浩之を手に入れるのが志保の本望だが、それでも、こんな魅力的な、かっこいい浩之を目の前にして取られるのは、悔しくもある。

 手にできないものを欲しがったりはしない。それが、手に入れるよりも、もっといい場所に落ち着こうとしているのなら、それを止める理由もない。

 それでも、やっぱりあきらめきれないのは、ヒロが悪いとしとくわ。

 志保は、ちらりとセリオの表情を盗み見る。

 セリオは、無表情だった。いいかげん飽きてくるぐらい表情は変わらないが、その感情は誰にでも読めるほど直情だ。しかし、志保には、今セリオが何を思っているのかさっぱり分からなかった。

 普通なら、嫉妬の一つでもしてもかしくないのに。

 セリオの表情からは、嫉妬も、怒りも、悲しみも、まったく感じられない。むしろ、それよりは喜んでいるようと言われた方が納得できるほどだ。

 これは、人間ができてるから?

 好きな人が、他の女の子の話をして、嫉妬や怒りを感じないことは、志保にはできない。完全にあきらめているつもりでも、今でさえまだ悔しいと感じるのだ。人間である限り、そういうものからは逃れれないと志保は思っている。

 しかし、人間でないメイドロボの方が、人間ができているのか、いや、人間でないからなのだろう、そういう意味で取れば、まったくそういうことを感じさせない。

 負の感情の、言葉の端も見て取れない。

 それはそれで、確かに魅力かも知れないけど……

 志保は、初めてセリオのことをどこか気持ち悪いと思った。不出来ならまだしも、完璧というのも、やはりどこかおかしさを感じさせるものなのだろう。

「今は、どうもあかりが俺を助けてくれてるようでさ。胸の痛みはない」

「何だ、あかりなら助けれるんだ?」

「ということは、浩之さんの胸の痛みの正体が分かったんですか?」

 さっきから「分からない」と言っているのだから、分からないのだろうが、それでは浩之の言っていることがあべこべになってしまう。

 そして、理由が分かろうと、理由がわかるまいと、セリオのやるべきことは一つだ。

「浩之さんが、あかりさんを選んだのなら、私はそれに従います」

 やっぱり、いさぎよすぎない?

 自分のことも含めて、志保はそのセリオの根性の無さに嫌気がさした。そう、自分にもそういう根性なんてこれっぽっちもないのだから、やっぱりそれは自己嫌悪みたいなものだ。

 それについて、志保は異存はなかった。セリオは、自分から身を引くと言っているのだ。それも、まるでそれを喜ぶかのように。

 それも、主人を悲しませない演技?

 感情のままにうごくメイドロボが、考えてみればこんな場所で演技などできようはずがないのだが、志保はそう思った。そうでなければ、それこそ自分を越した根性なしだとさえ思った。

 浩之は、しぶい顔を作る。志保は、そんなことはないだろうが、一瞬、浩之がセリオを手放すかとさえ思った。

 それほど、今のセリオは、全然魅力的に見えなかった。

 病気の原因が自分で、それで最愛の人や、その友人を苦しめているからと言っても、その苦痛から逃れるように「逃げる」のはおかしい。志保はそう思うのだ。

 そして、志保が思うようなそんな簡単なこと、浩之が思っていない訳がないのだ。

 そんなものは当然。こんな場面で浩之が志保の期待を裏切る訳がない。

 だって、今のヒロは、かっこよすぎて、私の期待以上のことしかしてくれそうにない。

 親友が、それこそ何を捨てても守りたかった、生かしたかったその「力」が、今志保の前にあるのだ。

 浩之は、肩をすくめながら、セリオに近づいた。

「やっぱり理由はよく分からないんだけどさ、それでも、俺は感じるんだ。今は、あかりに守られてる。あかりがいたから、俺は今ここで、無茶をしてでも解決しようと思っている」

 もし、あかりがいなければ、浩之はこのまま『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』に身をゆだねて、苦痛の生活を送っていたかもしれないし、何より、こんな無茶をしようなんて考えなかっただろう。

 しかし、反対に今あかりが自分を信じて、そして自分に全てを任せてくれる限り、胸の痛みは襲ってこない、浩之にはそう思えた。

 きっと、俺の胸の中には、あかりから言わせれば「浩之ちゃんの力」があるのだろう。

 そして、あかりを思うと、暖かくなっていく胸。痛みなど、微塵も感じられない。あずけていいと、そのままでいいと心が訴える。

 だけどな……

 それは、セリオのやるべきことじゃない。セリオが、やらなければいけないと思うことだ。

 浩之は、ぽんとセリオの頭に手を置いた。

「俺はセリオが好きだ。今も、その気持ちは変わってない。セリオが俺の前から消えるのは絶対に許せないし、命令してでもそれは止める」

 気楽そうな、やる気なさそうな。

 でも、それは強制。人のことを思っている姿ではなくて、自分のために、全てを自分の思い通りにしようとするエゴ。

 浩之のために、やはり何度考えても、何度思っても、自分が身を引くのが一番良いとしか答えの出せない、それほどまでに人を思いやるセリオ。その思いを、まるで泥でもはじくかのような態度で切り捨てる浩之。

「浩之さん、私は、やはり浩之さんの近くにいない方が、浩之さんのためです」

「残念ながらな、セリオ。それを決めるのは、お前じゃない、俺だ。とんでもないやつにひっかかったと思って、あきらめてくれ」

「ですが……」

 セリオはずっと思っていた。浩之が傷付くのを見るぐらいなら、自分が引いた方がいいのではないか。しかし、それを浩之に望まれたという、そして、自分自身が浩之を望んだという、希望と原罪の両端を持って、何とかバランスを保っていたのだ。

 しかし、浩之の横にあかりが並べば、もうセリオはその場には必要なくなる。必要のない場所に、セリオはいれない。

 何より、たったそれだけの行為で、浩之は苦しまなくて済む。

 セリオが導き出す一番いい方法。セリオはそれを選ぼうとしていただけだ。

 だが、セリオは間違っていたのだ。今目の前にいる、自分が好きになってしまった人間は、目の前に問題があると、つい目をそらしたくなくなるタイプなのだ。そして、問題が大きくなればなるほど、それを解決しようとやっきになる。

 志保は、すぐにでもそれに気がついた。しかし、セリオには、付き合いの差もあるが、その精神構造上、気付くことができなかったのだ。

 今の浩之が、セリオを問題解決の前に手放す可能性は、皆無。

「セリオは、俺のものだ。絶対に手放さない」

 それが、何故そんなに魅力的に見えるのか、志保にだって説明つかない。

 説明がつかなくても、浩之は魅力的だった。それは、人によって好みが違うとか、そんなささいな部分を全部とっぱらってしまうほどの魅力。

 志保には、セリオがやはり浩之を好きなのかさっぱり分からないが、それでも。

 きっと、セリオはヒロのことが好きなんだな。

 そう理由なく信じてしまうほど、ヒロは。

「セリオ、まかせとけって。お前の苦しみも、俺の苦しみも、あかりの苦しみだって、何とかしてやるからさ。本気になったときの俺は、けっこうすげえんだぜ」

 ヒロは、強い。

 

続く

 

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