銀色の処女(シルバーメイデン)
「セリオは、俺のものだ。絶対に手放さない」
一人の女の子としてなら、それは喜んでもいいセリフだった。
この世で一番愛する人に、そう言ってもらえることは、何よりもうれしかった。しかも、セリオはメイドロボであり、人の所有物であることの方が自然なのだ。
だが、セリオはそれを素直に喜ぶ気にはなれなかった。
それは、痛みを伴うものなのだ。例え、どんなに浩之がすごいとは言え、それでも、彼が人間であり、自分がメイドロボである以上、避けて通れない溝。
「セリオ、まかせとけって。お前の苦しみも、俺の苦しみも、あかりの苦しみだって、何とかしてやるからさ。本気になったときの俺は、けっこうすげえんだぜ」
別に何かそこに確固たる理由があるわけでもないのに、浩之はそれだけの自信を持つ。その姿は、何故かとても美しく見えるが、しかし、それよりも何より、危なげにセリオには見えた。
胸の痛みを感じていたという浩之の話は、やはりセリオを怖気づかせていた。
その、セリオの無言の、そして無表情の不安に気付いたのか、頭を優しくなでる。浩之としては、あまり志保のいる前ではこんな行動はしたくはないのだろうが、今はセリオの不安を消してやることの方が大切だと思ったのだろう。
「心配するなって、今の俺は大丈夫だから」
「はい……」
しかし、それは、ついさっきまでは、セリオのせいで浩之は胸の痛みに襲われていたのだ。それはセリオにとっては見逃すことのできないことだった。
自分のせいで浩之が苦しんでいる。
それは、献身を、人のためになるということに存在の全てを傾けるメイドロボにとっては、許せないことだったのだろうか?
いや、それが、自分のせいだからではないのだ。
セリオが、自分のせいで苦しむのは一つだけ。自分が、浩之を望んでしまったこと。メイドロボとしてではなく、一人の個人として、浩之の愛を受け取り、そして答えてしまったこと。
人のためでなく、自分のためにこの場に残ってしまったこと。
それがメイドロボ全てが望むことであり、そして、絶対に望んではいけないことだったのだ。
メイドロボの原罪、それは、自分のために動くこと。
セリオは、今ここにいる以上、その呪縛からは逃れられない。そして、セリオは、不完全ながらも、それを覚悟してここにいるのだ。
そして、今は、ただ自分のせいだからというわけではないのだ。自分だから、そんな中途半端な考えは、メイドロボであるセリオにはない。
メイドロボは、ただ純粋。ただただ、意味もなく。
浩之さんが、痛みを感じる。浩之さんが、苦しんでいる。
それが、セリオには耐えれない苦痛だった。何を除いても、それだけがセリオの胸をえぐる。
自分のせいだとか、他の理由だとか、そういうことは、セリオにはいっさい関係ない。ただ、浩之が苦しむのが、どうしても苦しかった。
そして、浩之の笑顔は、セリオの勘違いでなければ、その苦痛に向かって、笑顔で歩き出して、無茶をしてでも突き進む笑顔に見えた。
そう、浩之さんは、強いから。
セリオのことを考えてないとか、自分勝手とか、それはセリオには苦しいことではない。むしろ、メイドロボの自分からすれば、本望でさえある。
無償の献身、人が幸せになることこそが、メイドロボの存在意義だ。その中で、メイドロボは原罪である罪の意識を感じながら、幸せになった人を見て、喜ぶのだ。
人が幸せになったことを見て喜ぶだけでも、メイドロボにとっては罪なのだ。
「ですが、浩之さん、無茶をしないでください。浩之さんは、私の目からみてもすごい人ですが、それでも……」
「おいおい、セリオ。今はそんなこと言ってるときじゃないだろ?」
浩之は、あくまで笑顔を保ち、セリオを安心させようとする。
それは、次にどんな辛い道があると分かったとしても、まったく変わる様子のないだろう笑顔であり、セリオのことを気づかって笑顔を作っているわけではなかった。
やはり、浩之さんは、嘘に関して言えば下手です。
何を隠しても、それをどれだけ必死に隠しても、浩之の隠し事は人に伝わる。普通から考えれば、嘘がうまい方にさえ入る部類なのかも知れないが、浩之のまわりの人達は、みな浩之をより深く理解しようとするのだ。
そして、浩之の、自信にあふれたときの表情は、他の状態とは雲泥の差が出るのだ。
浩之さんは、私のことを心配しているから笑顔を作っているわけではないのだ。
それに気付くと、セリオはほっとする反面、どうしようもない不安にかられるのだ。
安心するのは、浩之がセリオを気づかっていないということ。それは、自分のために動くことが一番罪の意識を感じるメイドロボにとっては、むしろありがたいほどの行動だ。
だが、その安心感を、浩之の笑顔は、一撃で吹き飛ばす。
あまりにも、その笑顔が自信にあふれているから。
あまりにも、浩之さんが強いから。
それが、私を不安にさせる。
何物を持ってしても、その場に止めることは不可能だろうと思うほどの力。鎖でつなげば、鎖を千切り、棘があれば、それを叩き壊し、壁があれば、つきやぶる。
それは、あまりにも危うい。
恐怖を、ほんの少しも感じていないのだ。それを想像できないわけでもないはずなのに、それに臆することがほんの少しもない。
セリオには、浩之が傷つくことが怖い。
愛していると言われたときの感覚のデータ、今もほんの少しも劣化することなく、データの一番大切な場所に保管してある。
それに答えることのできいと、自分で理解していて、それを口に出したときの辛さも、忘れようがない。
そして、メイドロボであることより、浩之さんと一緒にいることを選んだ私を、今も責めつづけている。
でも、それでも、それは。
セリオにとって、ただただ、苦しくても、悲しくても、幸福な記憶。
望まれることを、何よりも望むことができない、それなのに一番望んでしまうメイドロボにとって、全てをかけてもいいその瞬間を、続けることのできる罪と夢。
それら全てを切り払ってでも、セリオにとっては避けたかった。
浩之さんが、傷付くことが嫌。
「いえ、全ては、浩之さんのために動くべきです。浩之さんが傷付くような行為は、止めるべきです」
メイドロボを捨てても、実際捨てきれていなくても、例えどんなに罵られても、いや、その程度のことでどうにかなるのなら、その身体朽ち果て、そのデータ吹き飛ぶまで罵られてもかまわない。
ただ、浩之さんは、傷付かないで欲しい。
セリオは、実に感情的に動くのだ。それを覚悟の上で、今日この場にいるはずなのに、どうしてもそれだけは譲れない。
どうして惹かれたのかも分からない人のために、どうしていいのかわからない場面でも、それでも最後までその人のことを考える。
ひどくわがままな、とても柔軟とはいいがたい、純粋な『献身』。
それこそが、メイドロボ、セリオの姿。
だから、それは、ひどく志保にはおかしく見えるし、まったく魅力的にも見えない。
しかし、なら浩之には?
浩之には、彼女は、覚悟したはずなのに、今になってもそれにうじうじとこだわる、どうしようもない美しい銀色の処女を、浩之はどう見る?
その存在の全てを、彼のために注ごうとする、純粋なる献身を持つ彼女に、浩之は何故こだわる。
「甘いなあ、セリオは」
浩之は、そう言って小さく笑った。嫌な笑いではない、親が、最愛の子供を笑うように、兄が、大切な妹を笑うように。
浩之が、あかりを笑うように。
志保は見ているだけで、まるで身体に電撃が走ったようにさえ感じた。
ただ笑っただけなのに、それだけで、志保の胸がしめつけられるほどの、魅力。
そう、浩之の優しさ。ただ強いだけなら、志保もそんなに惹かれなったはずの、どうしようもなく、おかしな、不純な、最高の、優しさ。
「俺のことは平気だって。さあ、一緒に、さっさとこのやっかいな問題解決しちまおうぜ」
ひどく、危うい優しさ。
続く