銀色の処女(シルバーメイデン)
……とりあえず、私は用済みかな?
くさいセリフを、全然恥ずかしげもなく言う浩之を見ながら、志保はそう思った。
私のやれそうなことは全部やったみたいだし……
むしろ、浩之の胸の痛みの理由が『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』ではないのではないかということを教えただけでも、十分働いたと言えるだろう。
何より、このまま恋人の言い合いを聞いているほど、志保も我慢強くない。
これから先は、ヒロの仕事よね。
もちろん、まだ浩之が何故セリオに惹かれたのかがさっぱり分かってはいないが、今聞いたところで、そしてその理由がおかしいと思ったところで、セリオを浩之から離すのは無理だということは重々承知している。
問題がある以上、何をやったところで浩之がセリオを手放さないことは、もうよくわかっている。では、今自分にできることは、さっさとこの場からいなくなって、浩之が色々やれる環境を作ってやることなのだ。
でも、それって、もしかして敵に塩を送るようなものかもね。
ヒロのことだから、いきなり速攻で問題を解決して、その後女の子とちちくりあう可能性だって十分にあるわよねえ。
いくら私が心が広いって言っても、まさか敵にチャンスをやるのは、どうにもねえ。
しかし、その不安の反面、何故か志保はもう帰るつもりでいた。
自分にできることがないということと、今この場から消えることで敵、もちろん恋敵のセリオのことだ、にチャンスを与えることは別問題だ。
だが、今は大丈夫。志保は何故か確信していた。
いつものヒロだったら、または、いつもの状態で強くなってるヒロだったら、今日この家に泊まるぐらいのことはするんだけど……
今日は、問題なさそうだしね。
何せ、今日ヒロが自分を完全に取り戻しているのは、そばにあかりがいるからだし。
そのあかりの恩恵を受けてる限り、いくら女たらしのヒロだって、おいそれと他の女の子に手は出せないわよね。
確かに、今の状態こそが本当の浩之だが、浩之とていつもこのペースを保てるわけではないのだ。要するに、これは言わば浩之の現時点での最終形態。現時点という言葉がついても、今の本当の全力だ、それをずっと続けるのは当然無理だ。
それを、今はあかりの力を借りて保っているのだ。どれだけ余裕がありそうに見えても、あかりの助力なくてはその状態を保っていられないことぐらい、志保にはお見通しだ。
胸の痛みがある状態じゃあ、女の子に手を出すなんて行動、できるわけないわよね。
というわけで、志保の行動は決まった。
「じゃ、私は帰るから」
「何だ、急だな」
さっきまでやる気なさげにセリオの頭をなでていたその表情のまま、浩之は振り返った。
「これ以上いちゃいちゃしてる姿見せ付けられるのはたまんないからね」
実際、そんな魅力的な顔で振り向かれると、たまらないものがある。これから先も、志保はおあずけをくらったまま過ごさないといけないのに、目の前にはおいしそうなものが置いてあるのだ。
今なら、私でもヒロを独占できないかな?
問題が解決した後、セリオがそのまま彼女であるなら、志保にもチャンスが回ってきたと言っていいような気がした。
セリオに比べれば、私だって十分ヒロを独占できると思うんだけど。
顔は綺麗だ、それこそ作り物なのだから、本当に作り物のように美しいし、その姿は耳についたアンテナ以外は、まさに人間そっくりだ。さわってはいないが、おそらく肌の質感なども人間そっくりに作ってあるのだろう。
非常に魅力的な女の子に見える。だが、それだけだ。見えるだけで、中身が伴って来ない。メイドロボだから、きっと家事は何でもこなせるのだろうが、それもさした魅力には写らない。
そう、ヒロに比べて、中身が脆弱すぎる。
おおらかで、図太く、そして強いヒロの心とは、全然つりあいが取れない。
もっとも、セリオがそうでも、結局はあかりがそばにいる限り、志保には浩之に手を出すことができないのだが、それはもう志保もあきらめている。
結局、ヒロの魅力も、あかりがあってこそってところもあるし。
むしろ、あかりがいなかったら、志保もここまで浩之に惹かれることはなかったろう。最初からその才能を持っていたとは言え、ここまで浩之が強くなることもなかったろうし、何よりあかりがいなかったら出会うことさえなかったのだから。
ま、だからって私があかりに譲るのもおかしいって思うけどね。
志保の嫌う、そう、嫌う「無償の献身」に見えてくるのだ。実際、あかりに浩之をゆずってやる理由など、ないのだから。
「それに、これ以上遅くなると泊まることになるでしょ。それはちょっと面倒だから」
「ま、そうだな。サンキュな、今日は助かったぜ」
志保は、その言葉にがらにもなく顔が赤くなるのを自覚した。
「ふ、ふん、お礼するぐらいなら、さっさとそのどうでもいい問題解決しなさいよ。あかりのこともあるんだから、できなかったじゃあ許さないわよ」
だから、そういう顔で、そういうこと言わないでくれる?
さっきまで完全にあきらめていたつもりでも、心のどこかが文句を言ってくる。こんなにかっこいい相手をみすみす逃がしてもいいのかと。
特に、感謝の言葉などまずかけてもらえないのだ。あかりはたまに言われるようだが、そのときのあかりの顔と言ったら、それを思い出すだけでも志保にはご馳走様と感じるぐらいだ。
これって、やっぱクセになるわよねえ。
あかりが何故ここまで浩之につくすのか、そのほんの端が志保にも見えた気がした。
「もちろん、俺だって問題解決に全力を尽くすつもりだぜ。あかりにもそう約束したしな」
まったく全力を尽くす気があるような表情に見えないが、これが浩之だから仕方ないと言えばそれまでだ。それよりも、あかりとの約束を破るとは思えないので、その言葉だけで十分でもあった。
最初から、疑ってなんてないけどね。
浩之を疑ったのは、セリオを好きになったことぐらいなのだ。それ以外は、志保には何も疑う気は起きなかった。
きっと、こんな些細な問題はすぐに解決してくれると信じているし、あかりのこともちゃんと考えているだろうとも信じている。
欲目で見れば、私のことだってちゃんと気をかけてくれているだろうし、何より……
こんな私の気持ち、全然気付いてくれてないのもほんとに疑いない。
敏感で、鈍感で、お調子者で、どうしようもないぐらい強くて、かっこいい。
志保は、よかったと今でも、これからも、きっとずっと思える。
ヒロのことを好きになって。
「あ、そうだ、セリオ」
「はい、何でしょうか?」
文句はこれぐらいにして、志保は帰ろうと思ったのだが、一つだけ重要なことを言うのを忘れていた。
「一つ言っとくんだけど……」
ちょっと卑怯かもと志保は自分でも思ったが、知られるよりは、今少しばかり卑怯になっていた方がいいだろうと思ったのだ。
「今日言ったことは、ヒロにも秘密ね」
結局、好きなことを知られて困るのは、私一人だし。志保は、少しふてくされながらもそう思った。
敵となるセリオには知られても困らないと志保は思ったが、もしそれを浩之に知られたときに、平然としている勇気は無かった。
つまり、今さら卑怯と言われても、「秘密」と言っておいた方がいい。反対に、こう言っておけば、浩之が本気になって聞きはしないだろうという保険でもある。
それを言うと、セリオの方が不利になるんだけど、それでもあんまり信用できないからね。
志保にはまだセリオがどういう行動を取るのか予測がつかないのだ。志保が絶対そんなことをするわけがないと思っていることでも、セリオはやってしまうことも十分に考えられた。
「何だよ、俺はのけものか?」
「当たり前でしょ」
志保は、半眼になって浩之をにらみながら言った。
「乙女には秘密が多いものよ」
それに対する浩之の返事は、まあ、志保の予測範囲内だった。
「どの面下げて乙女だか」
この憎まれ口が、志保には何故か、すごく心地よかった。
続く