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銀色の処女(シルバーメイデン)

121

 

 志保があっさりと帰った後、前と同じように二人きりになった状態で、セリオは、不安にかられていた。

「それでは、夕食の用意がすぐにできますが……」

 不安にかられれば、やることは一つ、家事や仕事をこなすのだ。それが、一番メイドロボが安心できる行為なのだ。

「ん、いや、別に急ぐ必要はねえよ。俺もそんなに腹空いてないしな」

 いくら図太い神経を持っている浩之でも、この状況で食欲が沸くほどではないようだ。

 何より、今は食事のことより、胸の痛みが何なのかを解決しないことには話が進まない。

「ですが、食事はちゃんと取っておいた方が頭のまわりも良いと思われます」

「まあ、そう言われればそうだけどな。じゃあ、とりあえず何か簡単に作ってくれるか?」

「はい、わかりました」

 セリオはすぐにキッチンに向かった。まるで逃げるようという表現がぴったりの動きでだ。

 浩之も、他に何もすることがないのでキッチンに向かう。

 いや、何もすることがないわけではない。一番効率の良いことをしようとしてるだけだ。

 セリオの観察する。それが今の浩之の目的で、唯一やれそうなことだった。

「じゃあ、俺はそこらで適当にぼーっとしとくから、セリオは夕食の準備でもしてくれ」

 そう言うと、浩之は料理をしているセリオを見る格好でテーブルについた。

 セリオは、浩之に見られているのを別に嫌がることもなく、てきぱきと夕食の準備をする。

 それはまさに、神業のような手際の良さだ。ここまで効率よく動くには、人間なら長い修練が必要なのだろうが、メイドロボであり、しかも来栖川の最新鋭のセリオにとっては、データさえ一度取ってしまえば、簡単なことだ。

 そう、メイドロボであるセリオは、こんな状況でも手元を狂ったりしない。それは、彼女が人間ではないからだ。「行動と精神は別」と最初からインプットされて作られているからだ。

 その姿は、いかにも頼もしく見える。多少の、いや、よっぽどのことでも動じず、目的を達成できる、人間なら鉄人と呼ばれそうな動き。

 しかし、それは見せかけだけなのだ。セリオの心の中は今はきっと不安と、苦悩で満たされているはずなのだ。

 それはプログラム上、そうなっているというだけで、セリオが強いから動じずに動けるわけではない。それが証拠に、セリオの無表情の顔は晴れない。

 無表情なのに真っ青な表情で、動じているのにまるで動じずに動いて、実にアンバランスな彼女。浩之は、それでもこの子を救いたいと思う。

 だが、救うのは、楽をさせるという意味ではないのだ。

 セリオを楽にさせたいのなら、さっさと研究所に帰してしまえばいいのだ。完全に満足できる結果ではないだろうが、それでも今のこの針のむしろのような状況よりは、何百倍も楽なはずだ。

 少なくとも、研究所なら、誰もセリオを傷付けようとしないだろうし、何もセリオが傷付けることはない。

 ……どう言ったところで、どう見ても今回のことは、セリオに原因がある。

 優しい顔で、やる気ない顔で、そして誰よりも強い顔で、浩之は思った。ひどく、セリオを傷付けるだろうことを。

 セリオに原因がある。それだけは確かなのだ。

 自分が人間だからとか、そういうものも含めて、きっと今回のことは、相手がセリオでなければ、メイドロボでなければ起こっていない。

 浩之は、不安にかられるセリオを見守りにキッチンにいるのではない。原因と考えられるセリオを、観察するためにこの場にいるのだ。

 『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』以外の何かが、自分の胸を蝕んだのだ。今はあかりが俺を守ってくれているからいいが……

 浩之とて、いくら何でもいつまでもあかりが自分を守ってくれるとは限らないと思っていた。それでなくとも、浩之はセリオを選んだのだ。いつ愛想をつかされるか分かったものではない。

 そんなことを考えて、しかし、浩之は苦笑した。

 ……嘘だな。

 嘘はあまりうまくないと評価された浩之だが、結局そんな嘘では、自分すら騙すことはできないようだった。

 あかりは、俺を見捨てたりしない。

 ごまかしきれない、確信だった。浩之には分かる、あかりのその一途さは、例え相手の浩之が他の女の子にうつつを抜かしていたとしても、その程度で消えたりしないのだ。

 それは、浩之はあまりいいことだとは思っていない。男のエゴに振りまわれることが幸せだとは決して思えないのだ。

 だが、それでも心強かった。あかりが自分を見捨てるまでは、まだ何年、下手をすれば何十年かかると思うと、それまでは戦えそうな気がした。

 人の心は移ろいやすいものだと、浩之も思っている。しかし、もう少し言葉を変える必要があるとも思っていた。

 人の心は移ろいやすい、こともある。

 少なくとも、あかりはいつまでたっても成長せず、俺を見捨てるということを覚えない。

 その移ろいやすくない心にもたれかかりながらだからこそ、浩之はまっすぐに目の前にある問題を解決できるのだ。

 決して優しくないやり方。きっときっぱりと捨ててやることが、あかりのためにもなるだろうに、俺はそれをしない。それを、怖がっている。

 だから、俺は俺のやり方で無茶をする。

 俺も、セリオも、あかりも、全然楽じゃない、どちらかと言うと、いや、絶対に苦しむだろう道を通る。

 でも、それは全員が、幸せになるため……じゃない。

 俺が、助けたいから。俺の思うようにやるだけ。

 だから浩之は、不安でどうしようもないだろうセリオを観察していた。例え一番心が落ち着く家事をしていたところで、さして不安は変わらないだろうに。

 しかし、むしろそれは優しさか。ここでセリオを抱きしめて、なぐさめてやる方が、おそらくセリオには辛い行動だったろうから。

 否、それは優しさからではない。ただ、一番良いと思う行動を取ったらそうなっただけだ。

 セリオは、不安は消えていないのだろうが、どことなく嬉しそうに夕食を作っている。それは別に意識はしていないのだろうが、メイドロボにとっては幸せな時間なのかも知れない。

 ひどく不安だろうはずなのに、浩之はそのセリオの姿がほほえましく思えた。まるで、そのほんの少しの間だけ、何も問題無かった日常に帰ったような気がした。

 ……これが、セリオ達にとっては一番の幸せなんだろうな。

 ただ人のために働いている。それだけが、彼女達の存在理由を唯一満たす行為なのだろう。もっとも、見ている方は、存在理由などという難しいことを考えるようなことはないだろうが。

 ……しかし、やはり胸は痛まない。

 本当に、あかりの部屋に入ってから後、ぷっつりと胸の痛みが無くなっていた。それまでは、痛みであかりの家まで歩いて行くのさえ限界だったのに。

 セリオを見てほほえましい気持ちになったりすれば、一撃で胸の痛みにやられそうなもんなんだけどなあ……

 浩之は、確認のためにもう一度ためしに言ってみる。

「セリオ」

「はい、何でしょうか?」

 セリオが、まっすぐに浩之の方を見る。まだこの人と話すときは目線を合わせる行為は健在のようだった。

「愛してるぜ」

「……はい、ありがとうございます」

 少し歯切れが悪くなるのは、仕方のないことだった。セリオにとってみれば、愛の言葉は、とても嬉しい反面、とても辛い言葉なのだ。

 原罪を犯している、その思いは、今になっても消えそうになかった。

 セリオの顔に表情がないのに、嬉しそうにして、さらに顔にかげりが出るのを見ていた浩之だが、残念ながら今はセリオのことにかまっている暇はなかった。

 ……チクリともしやがらねえな。

 すでに忘れかけている胸の強烈な痛みを思い出しながら、浩之は自分の胸をさわってみた。

 何の変化もないし、しごく健康そうだった。

 ただそれを確認するためだけに、セリオに愛の言葉をかけて、それでセリオが悩むのも辞さないその徹底ぶりは、優しいとは絶対言えないだろう。

 だが、浩之は浩之で必死なのだ。まったく外見と心の方が必死には見えないというだけで。

 痛みはない……あかりが守ってくれてるからなんだろうが……

 そこは、無駄に自信はあるものの、確たる説明ができない部分だった。

 だいたい、あかりが守ってくれてるってどういう意味だ?

 浩之は、セリオよりも、いや、メイドロボよりも言葉の意味を考える力に長けていた。自分が使っている言葉にさえ、疑問を感じるのだ。

 あかりが俺の中にいる……か。

 そのおかげで、浩之は今胸の痛みから解放されているのだが、それもどこかおかしな話だ。

 俺はいつだって、あかりを信じていた。

 それは今に始まったことではないのだ。確かに自覚はあまりしなかったが、いつだってあかりは自分の味方だ、と確信していた。

 だが、それでもさっきまでは胸の痛みに襲われていた。

 ということは、きっとその間にあったことが関係しているはずなのだ。

 というか、それでなくても、あかりや志保に会ってるときは胸の痛みは消えていたよな。

 セリオを消すというよりは、他の女の子を増やすことによって胸の痛みを回避はできるようなのだ。ここまでは分かっている。

 さて、これだけの情報で、答えを導き出せるものか?

 決して多くない情報だと思うが、それ以外に手はない。おそらく、やっかいなことにこれ以上情報が増えることもまずないと思われる。

 胸の痛みがないってことは、解決してるとも言えなくもないが……

 それも、一時的なものではないか、と浩之は思っていた。セリオの不安は間違いではないのだ。いつ胸の痛みがぶり返してくるかは、浩之にも分からないが、まず起こりえることなのだ。

 浩之は、なのに余裕の表情、いや、これはやる気ない表情と評されるものだ、でテーブルにひじをついた。

 さて、ちょっとした推理小説だ。

 犯人は、胸の痛みの理由。『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』が無罪だったのは証明されたが、また他の、あかりに対する罪で後から取り調べするとして。

 このトリック、俺に解けないわけがない。

 

続く

 

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