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銀色の処女(シルバーメイデン)

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 さして時間もかからずに、セリオは夕食を用意した。その手際は、下手にこってしまうあかりよりも手早いと言えるだろう。それでいて味は保証されているのだから、やはりメイドロボの性能はたいしたものだと浩之も思う。

 しかし、俺もたいがい頑丈にできてるよなあ。

 いつ胸の痛みがぶり返すのか分からないような状況で、のん気にご飯をバクバクと食べているのだ。かなり鋼の胃を持っているようだった。

 そういや、長瀬のおっさんが胃が荒れてるとか何とか言ってたな。

 あれは『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』の予兆と言っていたが、それもどうも間違いだったようだ。

 まあ、確かにあのときの俺は、胃が荒れても仕方ないような状況に置かれてたけどな。

 今もその状況がそんなに変わっているわけではないのだ、胃の痛みなど当然これっぽっちもない。胃が荒れていると言われたときだって、別にそんな気はこれっぽっちもなかったのだから、当たり前と言えばそれまでだが。

 とにかく、セリオの作る料理はうまいし、俺は俺で食事を目の前にすると何か急に腹が減ってきたしな。

 浩之は、とりあえず食べることに集中することにした。もちろん、食べているときでも胸の痛みに関しては考えてはいるのだが、考え事をしながら食事をしては消化に悪かろうと考え、あまり深くは考えないようにしている。

 セリオは、がっつく浩之を、無表情でずっと見ていた。幸福そうにも見えるし、どこか悲しげにも見える。無表情だから分かり辛いわけではなく、こういうときは表情があろうとなかろうとあまり意味をなさないだろう。

 いつものセリオだ。あの『シルバー』のときならともかく、いきなり食事中に「おいしいですか」などと聞いてくるわけがない。

 ……いや、そういやあかりもうまいかなんてあんまり聞いては来ないよな。

 別に失礼なこととも思わなかったし、食べてもらうために作ったのだ。おいしいと言ってもらった方がうれしいに決まっているのだが、あかりはそういうことをあまり聞いて来なかった。

 ……て、考えてみたら、俺の場合は自分から言うもんなあ。

 浩之はけっこう感想をすぐに口する男なのだ。食べたお弁当がおいしければうまいと言うし、まずければまずいと言う。もっとも、今までお弁当を作ってくれるような相手で、まずい弁当を持ってきた女の子はいないが。

 でも、やっぱりセリオもおいしいと言われた方がうれしいのだろうか?

「セリオ」

「はい、何でしょうか」

「うまいぜ、飯」

「はい、ありがとうございます。」

 ためしに言ってみたのだが、セリオはまったく表情を変えずに、予想通りの言葉を返してきた。無表情だからとかではなく、それについてはあまり嬉しそうにも見えない。

 どっちかと言うと、うかない顔だよなあ。

 まだ、食事を用意しているときの方が生き生きしていたような気がする。

「調子悪いのか、セリオ?」

 浩之は、急に変なことを聞いてみた。

「いえ、故障した部分はありませんし、エラーも起こしていません。メイドロボは故障かソフトのエラー以外で、調子を崩すという表現が当てはまる状態になることはありません」

 セリオは、まったくどもることなく説明をする。セリオは自分の身体については、知らないことよりも知っていることの方が多いのだから、当然の反応だ。

 だが、浩之は知っていた。それが間違いだということに。

 故障やエラー以外でも、メイドロボは調子を崩すときがある。この数日間のことで、浩之はそれを嫌というほど思い知った。

 苦しさから、顔をゆがませるわけではないが、辛そうにするセリオ。自分が壊れることもいとわずに人を助けようとするセリオ。そして、愛の言葉に涙するセリオ。

 メイドロボとしては、おそらくあきらかに調子が悪い、いや、おかしいセリオを、浩之は知っているのだ。

 浩之は、セリオに聞くまでもなく知ってはいるのだ。セリオには辛い時間をずっと過ごしているのだから、セリオが調子が悪くなるのは辺り前だということを。

 ただ、何もせずそこに座っている時間は、セリオにとっての苦痛でしかない。

 セリオがそこにいる、そこにある、存在という状態だけで、浩之にとっては悪い方向に動いてしまうのだ。それがどれだけ辛いことか、浩之には想像できない。

 想像できないのだ、本当に。

「なあ、セリオ」

「はい、何でしょうか」

 返事は早い。だが、それは心をずっと浩之にかたむけているからとか、そういうわけではない。むしろ、話しかけられることをセリオは望んでいるのだ。

 多分、ここで俺が何かを訊ねたとしたら、セリオは細かい説明まで入れてくれるはずだ。

 それはセリオがメイドロボだからというわけではなく、それが少しでも浩之の役にたつからだ。

 今セリオは、役に立つしか救われる道がないのだ。自分がここにいるだけで、浩之が少しずつ永続的に苦しめられていくのだ。だったらセリオは、せめて少しでも役に立ってその溝をうめようとする。それで救われるとか、そういうことは少しも期待はしていないだろうが、そうするしかセリオに今できることはないのだ。

「……」

「……」

 そのままずっと黙っている浩之に、訊ね返すわけでもなく、セリオは言葉を待っていた。

 食事はあらかた終わり、浩之は箸をテーブルに置いた。それを合図にするように、セリオが席を立つそぶりを見せる。

 いつものセリオなら、こんな稚拙なミスはしないはずだ。

 食事はあらかた終わったが、まだ浩之はごちそう様とは言っていないのだ。いつものセリオなら、ちゃんとその言葉を聞いてから片付けを始めるはずだ。

 ほら、十分に調子を崩しているじゃないか。

 その理由は、もう言うまでもなく簡単なこと。

 セリオは、今幸福ではない。

 愛する者の幸福を願わない者がいるだろうか。相手を不幸にすることが愛情表現だなんて、誰も信じないだろう。

 俺ももちろん、愛する者には幸福になって欲しい。

 セリオが苦しんでいる理由が、自分だということも、浩之は理解している。

 セリオは自分のせいで俺が不幸になっているんだと思っているようだが……俺は、セリオを十分に不幸にしているんだぜ?

 愛する者の幸福と、自分の意思、どちらを優先させた方が正しいのだろうか。

 愛する者のことを考えれば、身を引くこともあるだろうし、いらないおせっかいをしたりもするだろう。自分の意思を優先させれば、何が何でも相手を独占しようとするだろうし、全てに正直でいられるだろう。

 正しい、間違っているとは、俺も考えてない。

 もし、そのどちらかの名前をつけなくてはいけないというなら、俺は間違っていると言われるはずだ。反対に、セリオは正しいと言われるだろう。

 だけど、間違っている。

「セリオ、まだ座ってろ」

「……はい」

 浩之の命令に、セリオは素直に従う。それは命令であったから、まだセリオとしては気が楽だったのかも知れない。

「とりあえず、これだけは言っておかないとって思うんだ」

「何でしょうか?」

 セリオが緊張しているのが、無表情の中にも読み取れる。何を言われるのか予想はできていないようだが、反対に何を言っても耐えるつもりでいるのも分かる。

 耐える? おかしな話だ。

 セリオは今耐えている。その苦痛の時間に。

 その一分一秒が、俺の身体に棘を埋め込んでいくものだとしても……それを銀色の処女達は耐えなくてはいけないのか?

 浩之も、耐えていないとは言いきれない。むしろ、耐えているとは認める。あかりの助力はあっても、やはり胸の痛みは今だに浩之を蝕んでいるだろうから。

 それを、幸福な時間だとは思わない。好きな相手に傷つけられることさえいとおしいなんて、俺は思わない。

 それでも、セリオが耐えていることはおかしい。絶対におかしい。

 俺がセリオを苦しめているのは知っている。俺はわざとその道を選んだのだ。それ以外に選択肢は、多少なりともあったはずなのに、俺は苦痛の道を選んだ。

 だが、セリオがそれで苦しむのはおかしい。相手を傷つけているという理由で苦しむなら、俺の方が苦しんで当然なのだ。

 セリオが思っているほど俺が傷付いてないとか、そういうことではない。

「俺は、今の状況があんまり嫌じゃない」

「……」

 セリオの表情、無表情なのに表情というのは、いつもおかしいと思うが、そういう方法でしか表現できない、がしばらくさ迷った。

 そして、ああ、きっと浩之さんは私をなぐさめるつもりでこんなことを言っているのだな、とセリオが理解した。少なくとも、そう浩之には見えた。

「大丈夫です、浩之さん。辛くないとは言いませんが、私は大丈夫です」

 そして、セリオはそう取ったようだった。だが、浩之はそんなことを思って言ったのではない。

「そうじゃない」

 大丈夫とか、耐えれるとかそういうことを言いたいのではないのだ。

 浩之は、もう何が起きても負ける気も、逃げる気もない。だが、これだけは知っておかないといけないと思っていた。

「セリオ。俺は、比喩とかじゃなく、こんな状態でも、セリオと顔を合わせながら食事をするのも悪くない、むしろ、楽しいと思う」

 セリオを元気づけようなんて、浩之はこれっぽっちも思っていない。それは正直な心だ。浩之は、セリオをいることが楽しいのだ。

 それは簡単、あかりのことがあっても、浩之はセリオが好きなのだから。

 しかし、セリオの返答は、否だと、浩之は思うのだ。

「セリオは、この時間が、嬉しくないのか?」

 

続く

 

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