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銀色の処女(シルバーメイデン)

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「セリオは、この時間が、嬉しくないのか?」

 多分、今の自分の表情が、俺のできる一番真面目な顔だ。

 浩之はそう自覚したが、表情はさっきからあまり変わっていなかった。セリオに感化されたというわけではない。それが、浩之の真面目な顔だったというだけだ。

 ある程度は浩之もセリオのことをわかっていると思っていた。あかりと浩之の間のような、完全な信頼ではなかったが、それでも、好きな相手のことをわかろうとする気持ちはあると思っていた。

 だが、今浩之は、セリオの考えることをわかりたくはなかった。

 セリオは苦しんでいる。それは、俺のやったことだ。でも、それでも……

「それは、どういう意味でしょうか?」

 セリオは、無表情で、ゆっくりとそう訊ねてきた。

 それは、疑問だったからではない。返答を避けたにすぎない。もうそれだけで、答えは出ているようなものだった。だが、浩之はそれを黙って聞いていた。

「今浩之さんと向かいあっている状況がですか。それとも、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』に犯されていく浩之さんを見ていることですか。それとも……」

 セリオの表情が、ほんの少し崩れた。

 本当に微かの変化だったが、まったく変化のないセリオには、それでも十分な変化だった。

 セリオの表情を見たときも、浩之の心は痛かったのかもしれないが、だが、我慢できないものではなかった。むしろ、それを覚悟しきっていたのだ。

「それとも、このまま傷ついていく浩之さんを見ているだけのこの無力な私をですか」

 セリオは叫んではいなかった。しかし、それは叫んでいないというだけで、浩之の心には届いているのだ。

 いつだって、届いていた。セリオの言葉は、浩之にはちゃんと伝わっていた。

 それでも、浩之は無情だ。いや、違う、浩之は激情家だから、セリオの言葉よりも、自分というものを優先させただけに過ぎない。

「……セリオは、俺と一緒にいるのが辛いんだな?」

 だから、浩之は聞いてはいけないことだと理解しながらも、セリオに聞いた。

 浩之は、何を言われても、セリオがここで泣き叫んだって、絶対に彼女を研究所に帰す気はなかった。それがセリオを不幸にするとしてもだ。

 彼女のことを気遣う時間は終わったのだ。

 どんなにひどいと言われたとしても、それが藤田浩之。いつだって彼はおせっかいで、分別なんて全然なくて、非常にわがままで、おかしなぐらい強情なのだ。

 だから、その質問は蛇足だった。必要のないことはしないという論点からは、完全に外れた行為だ。その質問は、必要があるどころか、有害でさえあるのに。

「俺は、何度も言うが、セリオといると楽しい。胸の痛みが襲っているときでさえだ。この胸の痛みが邪魔でセリオとろくに話せないのが嫌で仕方なかった」

 胸の痛みを感じてから、ずっと浩之を責めつづけたと思っていた罪悪感は、何のことはない、単に自分の我を通せないことに憤りを感じていただけなのだ。

 一緒にいて、セリオに食事を作ってもらって、何でもないことを話して、そんな、どうでもいいことが、そしてすごくやりたいことができない。その憤りが、浩之の中でうずまいていたのだ。

 ま、実際、今でもあかりのことが頭を離れないしな。こんな女たらしが、わざわざ罪悪感なんて感じるもんかよ。

 自分を理解すればするほど、どうしようもないやつだと浩之自身も思うが、それは仕方のないこと。そういう風に生きてきて、浩之もそれを望んだのだ。

「俺は、セリオと一緒にいたい。だが、これはわがままだ。正直な話、セリオがずっと家にいて、俺はあかりと結婚して子供でも作って、でもセリオも家族で、そんな風なすげーわがままなことを考えたりもしてるんだが……いや、そんなことはどうでもいいんだ」

 浩之も自分が何を言っているのかわからなくなってきていた。それはセリオのように本当に感情に流された結果ではないので、自分の本心をちゃんと口にしているという自覚だけはある。

 そして往々において、本心とはゲスで自分勝手なものだ。

 愛してるなんて、ただ結果そうなったから良く見られるだけで、実際はこんな、どうしようもない愚かな考えなのだろう。

 自嘲ぎみにそんなことを考えたからと言って、浩之の口が止まるわけでもなかった。メイドロボほどではないにしろ、浩之も感情で動かされているのだ。

 胸の痛みは、ないな。オッケー、じゃあ、言ってみるか。

「セリオ、俺はお前のことが好きだ。お前と離れると思うと、身が引き裂かれる思いがする。ずっと一緒にいたいと思う」

 ズキンッ!

 忘れもしないその激痛が、浩之の胸を襲った。浩之は、胸を押さえて歯を食いしばる。

「浩之さんっ!」

 セリオは、胸を押さえて顔をゆがめた浩之を見て、今までで一番大きな声を出して狼狽した。

 自分が考えている最悪のシナリオが動き出したのかとさえ思った。それほどに、浩之の顔は苦痛にゆがんでいた。

 しかし、浩之はセリオを見ていた。今まで口上をたれていたのは、何もこんな胸の痛みを感じるためではないのだ。

 我慢できないほどの痛み? ぬかせ、今は我慢するに決まってるだろっ!

「もうやめてください、浩之さん。私がいなくなれば、少なくともその胸の痛みからは解放されるはずです!」

 セリオは、それでも浩之のことを考えている。自分のことなど、全て後にまわせばいい、必要なら、全部無視してもいい。

 

 無償の献身。彼女達、『銀色の処女(シルバーメイデン)』の、人間よりも優れている部分。

 しかし、どういうわけか、浩之には、それこそ一番腹立たしいものだと思った。あかりを見たりして、それには十分慣れているはずなのだが。

 

「勘違いするな、セリオ」

 セリオは、浩之の命令を破って席から立つと、浩之にかけ寄る。

「しゃべらないでください、浩之さん。すぐにお医者さんを呼んできますからっ!」

 セリオよりも有能な医者など、そう多くないのだろうが、セリオはそこまで狼狽しているのか。まあ、きっと俺の顔色が土気色とかにでもなってるんだろう。

 さっきから、痛みはまるで音量の大き過ぎるバックミュージックのようだ。とどまることを知らず、浩之の胸をかけずりまわる。

「いいから、聞けって」

 自分もセリオに劣らず叫んでいるつもりなのに、声は大きくならない。きっと痛みで声帯か横隔膜でもしびれているのだろう。全然関係ないことを浩之は思った。

「だめです、静かにしてくださいっ!」

「ったく、話は最後まで聞けって言ってるんだよ」

 今にも泣き出しそうなセリオの手をつかんで、浩之は苦しげに声を出した。

「セリオがだまらねえから、おかげでいらない体力使うじゃねえか」

「ですがっ!」

 浩之は、自分の胸の痛みに向かって、あらん限りの力を使って叫んだ。

 だから勘違いするなって言ってるだろうがっ!

 胸の痛みはさっぱり消える様子もない。浩之がわかっていても、身体の方までは最後まで言わないとわかってくれないようだった。

 この、バカ身体が。

 浩之は吐き捨てると、今度はちゃんと口を動かした。

「俺はセリオを愛してるっ!」

 ズキンッ!

 今までで一番強い痛みが胸を、身体を、そのつま先から何まで全て含めて走った。

 それだけ、浩之の言っている言葉は本心なのだ。それが嘘だとは、身体が思っていないし、浩之だって思っていない。

 だが、浩之は留まった。まだ、この言葉には続きがある。ひどい続きが。

「けどな、話はまだ終わってないぜ。俺は、あかりを愛してる。あかりを抱きたいと思ったし、あかりと結婚したいと思ったし、あかりとの間に子供が欲しいとも思ったっ!」

 

「俺は、あかりを、愛してるんだ」

 

 嵐の後は、こういうものなのだろう。まるでそのまま夜を迎えたように、風は止まり、雨は止み、静寂に包まれていた。

 胸の痛みは、完全に消えていた。余韻もまったく残さずにだ。

 そこに残ったのは、優しげな表情のセリオと、ものすごく不本意な顔をした浩之だった。

 セリオは、今まで一度もやらなかったような穏やかな顔をしていた。それは微笑んでいると言うのが一番正しいだろう。

「それが、浩之さんの答えです」

「……んなこたあ最初っから俺も自覚してるさ」

 だが、浩之は不本意だった。一人の男として、これは不本意と言わざるおえなかった。

「浩之さんの本心がわかった以上、私は……」

「黙れ、セリオ」

「……」

 セリオは、言葉を途中で浩之に止められて、黙るしかなかった。

 だが、もう浩之の本心がわかった以上、セリオはここにいる必要がなくなったのだ。

 今までずっと苦しみながらも、ここから逃げなかったのは、浩之さんが私を好きだと言ってくれたから。

 浩之さんが愛してくれているから、それだけでも浩之さんの役にたてるから、私はここにいた。

 あかりさんを愛しているなら、すでに胸の痛みも、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』も起こりえないけれど、私にはここに残る勇気がない。

 もし、それでも浩之さんに何か起こってしまった後では遅いから。

「私は、研究所に帰り」

「黙れって言ってるだろっ!」

「……」

 浩之さんは、優しいから、役に立たない私でも、ここに置いてくれようとしているのだろう。本当に、メイドロボに対してまで、そんな優しい人、見たことありません。

 ですが、私はもう……

 セリオは、優しく微笑んだ。やっと浩之が全てから解放されると思って微笑んだ。

 願わくば、この棘から解放された浩之さんが幸福になりますように。私には、何のお手伝いもできませんが。

 ここからいなくなること、ただそれだけが、無償の献身。

 

 だから、セリオは勘違いをおかしているのだ。

 

 浩之は縛られたまま。棘はささったまま。問題は岩礁に乗り上げているし、セリオは大きな勘違いをしている。

 そして何より、こんなに浩之がばつの悪い思いをしたのは、生まれて初めてだった。

「セリオが好きだ」

「はい」

「セリオが好きなんだよ、俺は」

「はい、ですが、浩之さんにはあかりさんがいます」

「ああ、俺にはあかりがいる。俺がこれから言うことまで許してくれるのかは何とも言えないが、まあ、何とかなるだろう」

「でしたら、問題ありません。あかりさんは浩之さんの言葉に絶対に応えるでしょう」

「んなこたあ言ってみないことには、俺にだってわからんさ」

「いいえ、あかりさんは、浩之さんのことが好きですから」

「聞かなくてもわかるってか?」

「はい、わかります」

 私も一緒ですから。

「ですから、私は研究所に帰ります。これについて浩之さんが罪の意識を感じることはありません。最初からそういうはずでした。」

 ……だから、それが大間違いだってんだ。

「俺は、あかりのことを愛している」

「はい」

「セリオのことも愛してる」

「ありがとうございます」

 

 結局、言葉の意味は、最後まで伝わりそうになかった。これなら、浩之の身体の方がよっぽど聞き分けがいいだろう。

「どっちも愛してるんだよ、この最低な俺はな」

 

続く

 

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