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銀色の処女(シルバーメイデン)

125

 

 たっぷり一分ほどの長いキスをしてから、浩之はセリオを解放した。

 セリオは、がらにもなくというか、おそらく生まれて初めってぼーっとしていた。

 そう、こんなことは初めてだった。

 キスというものの意味を、一応セリオは知識としては知っていた。愛する人達が、愛情表現として行うもの、そう思っていた。

 でも、ここでも、セリオはその意味を曖昧にとらえていたようだだった。いや、一応意味を知っているのだから、間違えて覚えていたと言った方が正しいのかもしれない。

 愛情表現、そんな生易しいものではない。

 浩之から伝わる、その気持ちと、その唇の感触と、そしてそんなことをしている自分と、色々交じり合って、それは何とも言えない気持ちをセリオに感じさせていた。

 気持ちいい。

 丁度、頭をなでられるときと同じ、いや、気持ちが伝わってくる今なら、それ以上の心地よさにセリオは包まれていた。しばらく、自分が次に何かをしなければならないことを忘れてしまうほどに。

「おーい、セリオ、起きてるか?」

「……」

「セリオ?」

「……」

「セーリーオー」

「はい、何でしょうか?」

 しかし、皮肉にもその余韻を無理やり終わらせたのは、セリオをこんな気持ちにさせた当の浩之だったりする辺り、世の中はうまくできていないのかもしれない。

「いや、手を出しといて言うのは何なんだけどさ……セリオはいいんだな?」

「何がですか?」

 セリオは、全ての本心から浩之と一緒にいることを選んだのだ。浩之に聞かれるようなことが他に残っているとは思っていなかった。

「私は、浩之さんと一緒にいます。それ以外の返答が必要ですか?」

「いや、それは嬉しいんだけどさ……俺が言うのも何なんだが、セリオは嫌じゃないのか?」

「何のことをおっしゃっているのかわかりません」

 セリオは、心底今のこのときを幸せと思ったのだ。浩之がセリオが嫌がることを、少なくとも今は少しもしていないはずだ。

 しかし、そこまで言われても、浩之の言葉の歯切れは悪い。

「だからさ、俺はほら、こんな女ったらしでいいかげんだからさ、自分の中ではけっこう折り合いをつけてるんだけどさ、セリオはどうなのかなと思ってさ」

 やはり言及を避けている浩之を見て、セリオはまるでついさっきまでの自分のようだと思った。言いたいことを言えないでいるのだ。

「浩之さん、一つだけはっきりさせてください」

 セリオは、今は自分の意思で浩之の目をまっすぐ見た。

「私は、浩之さんの命令は必ず聞きます。ないとは思いますが、浩之さんが殺人を命令すれば、私の中のデータを書き換えてでも行います」

「おいおい、物騒だな」

 真面目な、セリオにはだいたいにおいてこの表情しかないのだが、顔で言われれば、少しは慌てようというものだが、浩之はそれを冗談だと受け取ったようだった。

「私の本心です。全てに誓って、私は今嘘をついていません。ですが、一つだけ、これだけは浩之さんの命令でも聞けません」

「何だ?」

 セリオは、自分はメイドロボだと、自覚した。それはメイドロボにとって原罪、そして、セリオは禁をおかしてでも、もう迷いはしなかった。

「浩之さんから離れろという命令だけは、聞けません」

「セリオ……」

 浩之の幸せを祈ったための行動ではない。それが浩之の重しになることもあるだろうし、いつか何かの拍子に別れないといけなくなるかもしれない。

 しかし、セリオはそうなればそうなったで、折れる気はなかった。

「ですから、浩之さんは、それ以外のわがままなら、いくらでもおっしゃってください。私は、それで幸せですから」

 セリオの、メイドロボとしての考え方からは、そんな言葉は出てこないのが普通だったが、今の、そしてこれからのセリオは違った。だから「私は幸せ」という、罪になるような言葉を平気で、そして自然に使ったのだ。

「ありがとな、セリオ」

 浩之は、おかえしとばかりに軽くセリオのほほにキスをする。

「……」

 セリオは、その甘い心地よさに、また一瞬我を忘れそうになったが、何とか自分を取り戻して、浩之に聞いた。

「それで、浩之さんは何が言いたいのですか?」

「ああ、観念して言うと……セリオは、俺が他の女の子のことを好きでもいいのか?」

「かまいません」

 セリオは、まったく間を置かずに答えた。最初からその答えを用意していないと答えられそうにない素早さだった。

「……実は何も考えてなかったりしないか、セリオ?」

 浩之の失礼な言い方に、セリオはまったく表情を崩さなかった。

「私からしてみれば、聞かれる必要のない問題だと思われます」

「そ、そうか? 俺はけっこうこれでも悩んだんだが……」

 浩之は、何の因果か、というか自分の性格なのだろうが、二人の女の子を好きになってしまった。実際、それ自体は、おかしな話ではない。人間には別にいいことだからやれる、悪いことだからできないという基準はない。

 そんなことさっぱり気にせずに、二人好きになってしまうことはあるし、もっと多いことだってある。男は愛している女以外だって平気で抱けるし、女は同性と手をつなぐのに嫌悪感はない。

 全部が全部というわけではない。そういう者もいるというだけだ。

 だが、誰だってそれを心の底から納得しているわけではない。ゴミを道端に捨てるのだって、何も思わない者もいれば、罪悪感を感じながらも捨てる者もいる。

 つまり、行動と意識は組み合わないこともあるのだ。

 浩之は、まさにそれだった。二人を好きになりながら、それを容認する自分もいれば、それをいいことではないと思っている浩之もいるのだ。

 いや、自分のことはいいのだ。問題は、相手。

 例えそれが一番つながりが深く、全てを理解していると思っている相手でも、人間でない、言ってしまえば、人権さえ認められていない作り物の女の子でも、自分が愛した男が他の女の子のことも愛していると言ったら、いい気はしないと思った。

 少なくとも、独占欲がほんの少しでもあったら、許せないと思う。浩之だって、あかりやセリオが他の男と付き合うと言って、許すわけがないのだ。

 だが、セリオはまったくそれについては気にしていないようだった。

「私達メイドロボには、嫉妬という言葉はありません。それは何もマルチさんだけに限ったことではなく、メイドロボ全体のことです。マルチさんが嫉妬するのを想像できますか?」

「……無理だな」

 あのほやほやしたマルチが、例えばあかりに嫉妬していると言われて、誰か信じるだろうか。キャラをいつも作っているのならともかく、マルチはあれが素なのだ。

「ですから、私のことは気にしないでください」

 セリオは、浩之に気を使っている気は少しもない。セリオの本心を言えば、それが浩之に都合良くなっているのだ。

「じゃあ……その言葉、信じるぜ、セリオ」

「はい、信じてください」

 セリオは、例え浩之の行いが男のエゴであろうと、それを責めようとは絶対に思わなかった。セリオは、ただ愛してもらえば、そして一緒にいられれば、それで良かった。

「ってことは、後はあかりを納得させれば問題解決か」

「胸の痛みや、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』についてはまだ少しも解決してはいませんが」

 セリオは、前よりも冷静に言った。

「そうだな……根本の解決にはまだなってないとは思うが、多分、俺とあかりは、もう平気なんじゃないか?」

 浩之は、気楽そうにそう言った。

「浩之さん、胸の痛みはありますか?」

「いいや、これっぽっちもない。多分、あかりにふられでもしない限り、もう二度と胸の痛みが起こったりしないんじゃないか?」

 浩之は、根拠もなくそんなことを考えていた。

 トリックがあばかれる前に、死んだはずの人間が生き返ってしかも自分は何もやられていないと言っているようなものだった。浩之には、その問題のかけらほどしかもう見つけることができなくなっていた。

 まあ、確かにすごいトリックみたいだけどな。

 すでに当たりはつけてある。胸の痛みが消えたのは、ある意味たまたまだったのだが、しかし、その問題解決はかなり早くしていたはずであった。

「根拠はあるのですか?」

「あると言えばあるな。まあ、確信じゃないけどな」

 浩之が別に何かしたわけではなかったが、問題はおそらく最後まで解決したような気がしていた。いや、浩之があかりのことも、セリオのことも好きなどというふざけたことを言ったからこそ、問題はあっさり解決したのかもしれないのだから、それはやはり浩之のおかげなのだろうか?

「今はまだ聞かない方がいいようですね」

「ま、ちゃんと確信が持てたら言うさ。明日はあかりのところに行って、あかりの返事も聞いとかないといけないしな。もしだめだったら……いっそのこと次は志保でも入れるか?」

「浩之さん、その冗談はあまり面白くないと思います」

 浩之には、セリオがむすっとしたように見えた。

「おろ、メイドロボには嫉妬はなかったんじゃなかったのか?」

「もちろんありません。ですが、そう誠意のない言葉を聞き流すわけにはいきません」

「はは、悪かったよ。でも、実際あかりに断られると手詰まりなんだけどな」

 浩之は、少しも困った様子もなくうなった。それは悩んでいるというよりは、その状況を楽しんでいるようにも見えた。

「浩之さん、それほど重要なことなら、今から行けば良いのでは? あかりさんならば、きっと浩之さんがこの時間から来ても喜ばれると思われますが」

「あ、いいって。また明日にしとくさ」

「どうしてですか?」

 浩之は、おどけながら答えた。

「こんな時間から、しかも一日に二回も家に行くと、おばさんが勘ぐるからな」

「……」

 勘ぐるも何も、その通りのことをしようとしているのだから、別に悪くないのでは、とセリオは思ったが言わずに置いた。

 それは、もしかしたら、次の言葉を期待してからだったのかも知れない。

「それに、今夜だけは、セリオ一人のものでいてやりたいからな」

「……ありがとうございます」

 セリオは、浩之のその気持ちが嬉しかった。自分は嫉妬を感じないと言っているのに、それでも優しくしてくれる浩之を愛したことを、間違っていないとセリオは思った。

「ですが、これはあかりさんに不公平ではないですか?」

「ん、いいんじゃないか。あかりなら大丈夫だって。むしろ、このままじゃあセリオの方が不公平だろ?」

 浩之は、セリオがどきっとする顔で、言った。

「あかりとは、今までずっと一緒にいたからな」

 

続く

 

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