銀色の処女(シルバーメイデン)
あかりは、頭痛に悩まされていた。
昨日、浩之があかりの部屋を訪れてから、その後よけいに調子が悪くなったのだ。
それでも、すでにあまり働かなくなった頭が考えることは、一つだった。
浩之ちゃん、大丈夫かな。
それは、浩之を信じていないようにも聞こえる言葉だが、信じてはいる。浩之の身を案じているのだ。
そして、浩之は早くその問題を解決してしまうことを祈っていた。
自分の頭痛がそれで助かるからとか、そんな理由ではない。あかりが苦しんでいる以上に、浩之も苦しんでいるかもしれなかったからだ。
あかりは、口ではああ言ったが、浩之が苦しむのが平気なわけではない。自分がこんな状態でさえ、もし替われるものなら替わってあげたいと思っているのだ。
頭、痛い……
頭痛は、あかりの思考を時として妨げるが、すでにあかりの中では、浩之のことしか考えられなくなっていた。
そう、セリオのことなど、心の端にもなかった。それどころか、自分のことももう頭にはないのだ。
浩之ちゃん、がんばってね。
自分には、ただ心の中で応援するしか手がないのがもどかしくはあるが、本気の浩之の前では、あかりなど足手まといでしかないことも十分わかっていた。
昨日まではこんなに酷くはなかったのに、今日あかりがこんなになってしまったのは、昨日浩之が訪れたせいだろう。
浩之は、あかりにセリオと付き合っていること言ってしまったし、あかりはあかりで、浩之に自分の気持ちを言ってしまった。
メイドロボを認めないといけない状況が、完全に一致してしまったのだ。
この状況を浩之なら予測できなかったわけではないのだろうが、あかりはそれには何も文句はない。それどころか、あかりだってここまで情報がそろっていれば、自分の調子が悪くなっていくのが、昨日の浩之との会話だということにも十分気付くはずだ。
だが、あかりはそんなことを少しも考えていない。考えたところで、それを幸福に思うぐらいだろう。
愛している相手になら、浩之ちゃんになら、傷付けられるのも嬉しい。
本心、それを本心というのかどうかは難しいかもしれない。それは、あかりが何年も何年もかけてそう自分をそういう風に作ってきたのだ。作られた心を、本心というのなら本心なのだろう。
少なくとも、あかりはそれを望みながら、今まで生きてきたのだから。
時計を見ると、いつの間にかもう16時も近くなっていた。
いつの間にか、というわけではないだろう。あかりは、昨日の晩からずっと苦しんできたのだ。それこそ、一睡もせずに。
それでも、今日はお医者に行くのはひかりに無理を言って止めてもらったのだ。
いつ浩之ちゃんが問題を解決して来てくれるかわからないし。
あかりは、浩之から不治の病と聞いたときに、もうお医者を頼るのを止めていた。そのかわり、世界で一番信頼している相手に、全てをまかせたのだ。
浩之ちゃん以上に、私が信頼できる相手なんていないもの。
それが母親のひかりでも、大の親友の志保や雅史でも、その信頼には遠く及ばない。それほどに、あかりは浩之を信頼しているのだ。
そして、あかりの信頼に応えるなら、浩之は今日来てもおかしくないのだ。
もっとも、あかりは浩之が1年後になろうが、10年後になろうが、耐えるつもりでいた。それが全てを浩之にまかせたあかりの覚悟だ。
でも、多分そんなに待つ必要はないよね。
ピンポ〜ン
頭痛であまり耳もうまくは動いていないようだったが、それが幻聴でないことは確かだった。それは、訪問販売とか、父親が早く帰ってきたとか、そんなものでないこともあかりは予測できた。
今は、頭痛で下の声は聞こえないけど……
それでも、階段を上ってくる音は聞こえる。
コンコン
「あかり、入るぜ」
「待ってたよ、浩之ちゃん」
扉を開けて入ってきたのは、何のことはない、予想していた相手だ。
なのに、あかりは泣きたくなるほど嬉しかった。
浩之ちゃんが、私をこの頭痛から回復させてくれるから?
違う、違う、全然違う。
あかりは、頭痛も無視してベットから起き上がった。
「おいおい、あかり。お前、昨日よりも調子悪くなってるんだろうが。そのまま寝とけよ」
「……ううん、いいの」
「んなこと言っても、おばさん、お前の様子に顔青くしてたぜ」
朝に会ったとき、自分の様子を見て、顔を青くしていたひかりを、あかりは頭痛の頭の中に、少しだけ思い出した。
ひどい子供だと思わないでね、お母さん。だって、私は浩之ちゃんのために耐えてたんだから。
「おばさんが顔を青くするなんて、俺は初めて見たから、俺も少しあせったぜ」
「お母さん、ああ見えても心配性だから」
いつもあかりと浩之の様子を見て気にしていたのを、あかりはよく知っている。どちらも煮え切らないタイプなので、今まではひかりもかなりやきもきしていたのだろう。
「心配性じゃなくても、お前の姿を見たら心配したくなるぜ」
こんなに、嬉しいことはない。ううん、いつだって私は嬉しかった。この、神岸あかりという人間に生まれたことを、神様に感謝だってする。だって、ずっと一緒に生きてきたから。
「浩之ちゃんも心配してくれるんだ?」
「あのなあ、当たり前だろ。好きな女の子が、そんな顔色が悪かったら、心配しない男はいないぜ。まあ、あかりの場合、肌が白いから余計にそう思うのかもな」
告白して、ふられたはずなのに、もっと私は浩之ちゃんのことを好きになってる。
「ふふ、そんなこと言っても、何も出ないよ」
「い〜や、これが出るんだな」
「?」
あかりは、何か浩之の言葉に疑問を持ったが、頭が痛かったので、それが何かまでは考えられなかった。
「だいたい、そういうことはセリオさんに言わないと。私だからいいけど、他の女の子にそんなこと言ってると、セリオさんにばらされるよ」
「いいや、これがあかりだと問題ないんだな」
だから、私ならいいって私は言ってる。それが嬉しくて仕方ないってこともあるけど、それが本気でないのは私はよく知ってるから、本気で言われても黙ってられる。
?
あかりは、自分の考えにもおかしな部分があると思ったが、やはり頭痛が邪魔をして、それが何かまではわからなかった。
「問題おおありだよ。気の多い人はもてないよ」
「いいんだよ、あかりとセリオにさえもてれば、俺は別に困らないから。あかりは、俺が気が多いのが許せないか?」
「あんまりいいことじゃないと思う」
浩之の気持ちを考えても、相手の女の子のことを考えても、それが悪い方向に動くだろうことはあかりも十分理解している。もちろん、それは自分を含めないでの話だ。
「だったら、こんな気の多いやつ、あかりもさっさと嫌いになっちまわないとな」
「それとこれとは話が別だよ、浩之ちゃん」
浩之ちゃんは嘘をついてる。浩之ちゃんは、私に嫌って欲しいなんて、少しも思ってない。だから、私にはわかる。ずっと一緒に生きてきたんだから、私には嘘はつけない。
「私は浩之ちゃんが好きだから問題ないってだけで、他の女の子には問題だと思うよ」
「だったら、あかりなら問題ないわけだな」
「私が二人いるとは思わないけどね」
絶対の自信。きっと、一生かかっても揺らぎようのないもの。
浩之ちゃんをこんなに理解しているのは、私だけ。
セリオさんを好きになったのも、もうほんとにすぐに理解しちゃったし、浩之ちゃんが私を何故か今でも捨てきれていないのも、よくわかる。
「だめだよ、浩之ちゃん。私はほっといて、一番大きな問題を解決してこないと」
あれ? 浩之ちゃんは解決してる?
あかりは、浩之がすでに問題を解決した後だと感じている。または、本当にその最中で、すでに決着がついた後のように見える。
それなのに、浩之には自信がないように見える。自信のない浩之は別に珍しいわけではないのだが、矛盾していると言えば矛盾している。
「だから、そのために俺はここにいるんだぜ」
ああ、だったらおかしくないのかな?
しかし、ここに来る理由はないようにも思える。ここには問題の結果、被害を受けた自分はいても、問題を起こした原因はないように思えた。
「それとも、私に何かできることがあるの?」
それはあまり可能性としてはないような気もするが、もしかしてということもある。例えば料理をうまく作れるのは浩之よりもあかりであり、つまりはその程度に自分が向いていることもまったくないわけではない。
「ああ、あかりにしかできないことがな」
「だったら、何でも言ってね、浩之ちゃん。私、浩之ちゃんのためなら何だってするから」
そんなことを口に出してしまっているところを見ると、自分も頭痛でうまく頭が回っていないのかもしれない、とあかりは思った。
しかし、言わなくても、言ってもやる行動に変わりはないのだ。あかりは、例えどんなことがあっても、浩之のために動こうと思っているのだから。
「じゃあ、言うぞ。しかもかなり無茶なこと」
「大丈夫だよ、どうせ浩之ちゃんが言うこと、いつも無茶だから」
私に浩之ちゃんを嫌いになれだなんて、何て酷い無茶。
そんなこと言われても、私には絶対できない。
そのかわり……
「俺はセリオのことが好きだ」
「うん、お幸せに」
「だけどな、あかり、お前のことも愛してる」
「嬉しいな、冗談でも、浩之ちゃんがそう言ってくれると」
冗談じゃないみたいだけど、それはおかしいので、無視するね。
頭が痛くて、うまく考えがまとまらないの。
「だから、無茶は承知で言うぞ。あかり、俺はセリオとつきあってるけど、それでも、俺と結婚してくれ」
そのかわり、浩之ちゃんを好きになるんだったら、これでもかってぐらい好きになるから。
続く