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銀色の処女(シルバーメイデン)

128

 

「うん、もちろんいいよ、浩之ちゃん」

 あかりにとって、浩之のことを好きになってから、一度たりとも望まなかったことがない時間が、今あかりに訪れていた。

 しかし、あかりはこの状況を、素直に受け入れはしたが、やはり疑問がないわけではなかった。

「ねえ、浩之ちゃん」

「何だ、あかり。こんな状況で冷めた口調になりやがって。雰囲気ぶち壊しだろ」

 確かに、すごくいい雰囲気だったので、このまま待っていればキスぐらいしてもらえたかとも思うと、もったいな気もしたが、あかりにはそれよりも浩之のことの方が重要だった。

「でも、これって、浩之ちゃんの『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』を解決する手助けになるの?」

「ああ、それか。えーと、どう説明すればいいんだろうなあ。とりあえず、俺はあかりが俺のそばにいてくれる限り、多分もう胸の痛みに襲われることはないと思うんだけどな」

「?」

 あかりには、浩之の言いたいことがよくわかっていない。自分がいることが、何か重要なことらしかったが、その理由はさっぱり思いつかないのだ。

「というか、その前に、どうも俺は『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』にかかってたわけじゃないみたいなんだよ」

「あれ、でも、胸の痛みがどうとか……」

 浩之が自分と同じ不治の病にかかってないことは喜ばしいが、浩之は胸が痛いと言っていたので、それがまったく別の病気によるものだとしたら、それはそれであかりとしては心配になる話だった。

 しかし、あかりの心配をよそに、浩之はいたって健康そうだった。

「ああ、どうも、俺は最初っからメイドロボを認めようなんて思ってなかったようだな。おかげで、劣等感も抱かない……らしい」

「らしいって……」

「仕方ないだろ、確かに、俺は『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』にかかる条件に合ってねえんだから、この胸の痛みは他の要因によるものだって考えるのが妥当だろ。まあ、もう胸の痛みに襲われることはないんだろうけどさ」

「何かわかってないのに、解決したの?」

 あかりは、さっきよりも的確に状況をつかんでいた。つまり、よく考えてもわからないのだから、浩之の言葉を言葉通りに信じることにしたわけだ。

「いや、だいたいわかってる。俺が胸に痛みを感じたのは、セリオのことを考えたり、セリオに愛の言葉を言ったり……とりあえず、セリオのことを愛しているそぶりを見せたときだ」

 浩之とて、志保に言われなければ、その可能性を考えたりもしなかっただろう。しかし、確かに言われてみれば、胸の痛みが『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』のものだとして、説明できないことは多い。

 メイドロボに対する劣等感が原因ならば、胸を痛めているときだけ、つまりセリオを愛しているというそぶりを見せたときだけ、浩之は劣等感をセリオに抱いているということになるのだ。それは、やはり何かおかしかった。それを言うなら、そのときだけメイドロボを認めようとしたかというと、はっきり言って、浩之はセリオがメイドロボであることさえ時として忘れていた。

 何より、それまでにメイドロボを認めよう認めようと考えていたときには、胸は本当にまったく痛むことはなかった。

「反対に、胸の痛みが消えるときは、あかりや志保と話して、つまり、俺の信頼している、という条件が入るかどうかはよくわからんがな、他の女の子と話したときだ。つまり、俺がメイドロボに劣等感を抱かなくなるのが、他の女の子にうつつを抜かしてるから? んなわけねえだろ」

「でも、他の女の子と話すときは、セリオさんのことを忘れてたんじゃないかな?」

「ってことはない。俺は、まあ、確かに昨日あかりの部屋に来たときは、セリオには悪いがちょっと頭の隅に置かせてもらったが、他のときはずっとセリオのことを考えてた。それでも胸の痛みは、完全に消えてたんだ」

 このわずかの間に、浩之はずっとセリオのことを考えて過ごしてきたのだ。それに例外が生まれたのは、昨日あかりの部屋を訪ねたときそのときだけだった。

 そして、浩之は記録的短時間で問題を解決する方法を見つけ出した。

「原因は、確かにセリオがメイドロボだからだ。これがあかりや志保相手なら、こんなことには絶対なってなかった」

「それはそうだろうけど……」

「勘違いするなよ、俺はセリオを責めてるわけじゃねえんだぜ。むしろ、俺の身体の方が、セリオを拒絶したんだからな」

「って浩之ちゃん、それじゃあウブな女の子だよ」

 そう言ってあかりは苦笑した。男の身体をすぐには受け入れられない女の子のような話で、それは実に浩之には似合ってなかった。

 びしっ、と浩之はあかりの頭に軽くチョップを入れる。

「いたっ、浩之ちゃん、これでも私病人なんだから、優しくして欲しいな」

「黙れ。だいたい、俺の胸の痛みはそんな生易しいもんじゃなねえんだよ。言葉通り、俺の身体がセリオが恋人であることを拒否しやがったんだ。あの胸の痛みは、言わば俺の身体からの、俺に対する警告だな」

「セリオさんに、何か問題があるの?」

 身体が警告するということは、セリオに何かしらの不都合があって、それを身体が拒絶したということになる。もっとも、身体がその本人の意思を拒絶するというのも、おかしな話だが。

「ああ、セリオは、これはどうしようもないんだが、子供が産めない」

「そりゃあ、セリオさんはメイドロボだもの。子供まで産めたら、それこそ本当に人間と区別がつかなくなるよ」

 男性にとって理想とも言うべきメイドロボだが、確かに子供を産めないというリスクはあった。

 しかし、この現代において、子供を産めないというのがどれほどのリスクだろう。はっきり言って、男は女性が思っている以上に子供を欲しがっていないのだ。

 いや、もちろん欲しがる男もいるだろうが、統計的な話だ。

「浩之ちゃん、子供欲しいんだ」

 ちょっとあかりは恥ずかしげに顔を赤らめて言った。子供という単語は、あかりにとっては憧れでもあるし、目標でもあるし、つまりはその、途中経過のことも考えたのだ。

「いや、俺自身、てのも何か変だけど、俺の意識は、別に子供なんてそんなに欲しいと思ったことはないんだけどな」

「まあ、浩之ちゃんから子供欲しいなんて聞いたことないもんね」

 むしろ、浩之に子供というのは、あかりに子供と対極と言ってもいいものだ。はっきり言って想像がつかない。

「まあな、男としては、子供をかわいがるってのも、あんまり人生設計には入れてないんじゃないのか?」

 自分の血が流れているとは言っても、しょせんは、産むのは女性。そういう意味では、男には子供に執着がない。

 もちろん、産まれてきた後は、むしろ子供が嫌だというほど執着することも多いし、何より男も女も関係ない。が、まだ若くて、子供のことなど考えずに、遊びまわっていたい年頃の男なら、むしろ欲しいと思わない方が自然だろう。

「私は浩之ちゃんの子供欲しいけど……」

 さらっとあかりはとんでもないことを言っているのだが、しかし、今回は浩之はそれに突っ込む気はなかった。

 それが母性というよりは、女を感じさせる言葉だとしてもだ。

「多分、俺があかりと一緒にいたら胸の痛みを感じなかったのは、それだ」

「え?」

 あかりは今子供が欲しいと言っていたが、浩之の身体は、それをもっと最初から感じていたのだ。

「俺は、きっとあかりや志保に、女を感じてたんだろうな」

「え……」

 ぽっとあかりの顔が赤くなる。もう告白された後なのだが、その「女」という単語が、何を意味するのかをわかっていたからだ。

「でも、セリオさんに悪いよ」

「何言ってるんだ、あかり?」

「う、ううん、何でもない」

 一瞬、本当に浩之が自分を抱くのではないかと思って、あかりは恥ずかしくなったのだが、今のところ浩之にはその気はないようだ。

 しかし、浩之の言った「女」というのは、つまりそういうことだった。

「もしかしたら、俺の身体は、子供、つまり、自分の血を残すために、あんな胸の痛みで俺を止めたんじゃないかと思うんだ」

「でも、そんな話聞いたことないよ」

「俺もない」

 浩之は、そうそっけなく返した。

 実際バカげている。いくら人間も静物の本能で動かされているからと言って、わざわざ自分の血を後世に残すためにそこまでする機能がついているとは思えなかった。

 例えば、子供のできない身体の女性がいたとしよう。確かにそれを理由に結婚しない男性はいるだろうが、少なくとも、「子供ができないから」という理由でその女性を抱かない男はいない。

 それは性行為は、子供を残すだけでなく、快感もあれば、愛情表現としても十分に効果のあるものだからだ。少なくとも、子供を作るだけのために行うことはまれだ。

 だが、それを苦痛に思うかどうかはその個人の意識であって、少なくとも身体ではない。

 しかし、浩之の身体は、子供の産めないセリオを拒絶した。

「でもさ、ありえない話じゃないとは思わないか?」

「そう言われると、別におかしくないかな〜とか思わないわけでもないけど……」

 あかりが納得できないのは、あまりに突拍子もない話だということだけでなく、浩之がそんな理由でセリオを拒絶したと思えないということろもあったのかもしれない。

 だが、あかりの見方は間違っていない。誰よりも浩之が優れていたからこそ、その胸の痛みは起こったのかもしれないのだから。

 生物として、子孫を残すのが生物の一番の本能だとすれば、子孫を残せないことを、痛みを持ってしても教えるとは、何と生物として優れた個体であろうか。

 そして、もし浩之がそのままセリオだけを愛した状況で胸の痛みがなければ、浩之は他の女性と交わることもなく、セリオ一筋で生きてしまっただろう。

 そうして藤田浩之の血を受け継ぐ子孫は産まれることなく、生物の個体としての藤田浩之は絶滅する。

 手は、かなり簡潔な手だが、かなり問題な手段しかなかった。セリオをもう捨てるつもりのない浩之には、それ以外の手を思いつかなかった。今なら体外受精とか、色々あるだろうと言われても、そんなことを本能で危険を察知して警告してくる身体が理解するわけがないのだ。

「……さすがにちょっと無理がある理論かなと俺も思うんだけどな……でも、まったくなくなった胸の痛みを考えると、それ以外に理由が思いつかないんだ。セリオのときはだめで、あかりや志保のときはいい他の理由が思いつくか?」

「うーん、幼なじみとか……」

 一応、志保とも中学からなので、かなり長い付き合いになる。

「……ためしに、綾香とかで実験してみりゃよかったな。あかりがいる限り、もう胸の痛みに襲われることはないだろうから、実験のしようもないけどな」

 どちらにしろ、浩之にはもうそれについては不安がなかった。この理論が間違っていたとしても、少なくともあかりがいれば大丈夫だと、浩之は感じていた。

「俺には、あかりがいれば大丈夫だ」

「ほんとに?」

「ああ、あかりがいれば、きっと俺は胸の痛みに襲われることはない。でもな、だからってわけじゃねえぞ。お前が欲しいのは、胸の痛みとかがなくても俺の本心だ」

「ありがとう、浩之ちゃん」

 あかりはにっこりと笑った。しかし、あかりにとっては、浩之の気持ちは嬉しいと同時に、どうでもいいのだ。

 どうでもいい? いや、どうでもよくはない。これこそ一番気になることではあるのだが、やはりそれよりも何よりも、気になることがあるのだ。

 だから、どっちを優先させるわけでもなく、どちらともあかりには気になるのだ。

「俺はあかりのことが好きだ。幼なじみとしてじゃなく、一人の女の子として」

「私も、浩之ちゃんのことが大好きだよ。もちろん、言うまでもないよね?」

 これは望むべくもない状況。なのに、あかりは最後の最後、この幸福な状況を、本当に自分にとって最高できることを聞かずにはおれなかった。

「浩之ちゃん、少しだけ、意地悪な質問するね?」

「あかりとセリオ、どっちの方が好きかってのは却下だぜ。俺はどっちとも選べなかったから、こんなひでえ方法取ったんだからな」

「うん、わかってるよ。でも、意地悪さで言えばもっと意地悪だと思うよ」

 多分、少しは浩之にも予想がついていたのかもしれない。だが、あまりいい質問でもなかったし、ナンセンスでもあったかもしれない。

「私と、セリオさん……」

 でも、あかりは知りたかった。それは、セリオのような存在意義などという大それたものではなく、単なるあかりの生きる目標というやつだった。

「どっちの方が、浩之ちゃんの役にたててる?」

 それは、もしかすると、あかりにとって、一番大きな嫉妬だったのかもしれない。

 

続く

 

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