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銀色の処女(シルバーメイデン)

130

 

 セリオとあかりは、無言のままお互いをにらみ合っていた。

 本当ににらみあってはいないのだが、これは浩之の主観だ。普通ならにらみ合う状況だからだ。

 次の日には、あかりは回復して、一度病院にも行ったが、何の問題もなかったそうだ。浩之がわざわざ長瀬に電話して専用の医者に見てもらったのだから、間違いない。

 一緒に検査を受けた浩之も、何も異常はなかった。

 だが、この状況は、少なくとも胃ぐらいは痛めそうだった。

 だいたい、その原因は浩之にあるのだが、それにしたってこの状況はおかしい。

 浩之の家に、あかりとセリオがいる。これだけの状況なら、別に苦労もなく作れるだろう。だが、問題はどちらも今は、「浩之の恋人」という立場でこの場にいるのだ。

 他の男どもに知られたら、殺されかねないぐらいうらやましい状況ではあるのだが、浩之とてこんな状況を経験したことはないのだ。

 二股をかけていたのがばれて、二人が顔を合わせる、ということなら実際に起きてもおかしくはないが、どちらも自分の恋人にもう一人相手がいることを承諾して、しかもそのお互いが顔を合わせる状況というものに、人間は生きていて何度出会うことができるだろうか。

 ……多分、俺の生涯というか、日本中で10年に一度あるのか?

 浩之だって、今まで生きてきてこんな状況を想像したことはなかった。原因を作った本人が言うのも何だが、どうしたらいいのかさっぱりわからなかった。

 あかりがぴくっと動いたので、浩之はそれに驚いてびくっと大きく反応した。が、あかりはにっこり笑って言った。

「セリオさん、よろしくね」

「はい、よろしくお願いします、あかりさん」

 二人は、そんな浩之の気持ちを知ってか知らずか、お互いに申し合わせたように頭を下げた。

 ……とりあえず、緊迫はしてないよな?

 どうもにらみ合っているというよりは、二人ともどう動いていいのかわからず固まっていたというのが正しいようで、浩之は少し安心した。

 考えてみれば、あかりとセリオが俺を奪い合うってのも、あんまり想像できないしな。

 一応どちらにも了解は得ているものの、浩之には負い目がないわけではないので、浩之はできる限り気を使いたいのだが、二人がどう出てくるか予想できずに、やはり見守るしかなかった。

「とりあえず、私も浩之ちゃんもまだ高校生だから、今は家事は全部セリオさんにまかせるから、一緒に暮らせるようになったら一緒にしようね?」

「いえ、家事をするのはメイドロボである私の仕事です。お気になさらずに」

「でも、私も家事好きだから」

 あかりはにこにことしながらも、いつもとは違って押しが強い。

「……はい、わかりました。それではあかりさんが一緒に暮らせるようになるまでは私が責任を持って家事をさせていただきます」

 セリオがすぐに引き下がったのは、あかりの押しに負けたのだろうか? メイドロボにとっては、家事をするのは大切なことの一つのはずなのだが。

 まずは、あかりが一歩リードか?

 何とも言えない緊張感を感じて、浩之は口を出せずにいた。あかりは全然怒っている様子も、むきになっている様子もないが、この押しはいつものあかりではない。

 反対に、セリオはいつもにもまして素直というか、あかりの押しに一方的に負けているようにさえ見える。

「それにしても、浩之ちゃんにも困るよね。わざわざ二人とも家事が好きな相手を選ぶんだから」

「はい、おっしゃる通りです」

「っておいおい、いつの間に俺の悪口になった」

 相手があかりとセリオだからと、浩之は油断していたのかもしれない。

「私がこの数日観察した結果から言うと、浩之さんは極上のめんどくさがりです」

「極上って……」

 俺は国産牛か何かか?

 浩之の突っ込みは、しかし、あかりの同意の声にかき消された。

「そうそう。だからこそ面倒見がいがあるんだけどね」

 あかりはそう言って嬉しそうに笑った。セリオも、表情に変化はないようだが、まんざらでもないようだ。

 実は案外この二人息が合ってるんじゃないのか?

 しかも、片方ならきっと言い負かせもできるのだろうが、二人合わさると、負い目の部分もある上、いつもよりも言葉が増える分か、旗色が悪くなる。

 しかし、それを見て、浩之は心の中で安心した。

 今のところ、二人はうまくやれそうだった。浩之としては、セリオの言葉もあかりの言葉も信じてはいたが、相手を見てまで言葉通りにケンカをせずにやっていけるか、不安ではあったのだ。

 何せ、こんな状況は生まれて初めてだし、どう見たって人に責められそうなことをしているのだ、仕方ないだろう。

 浩之の表情を読んだのか、あかりがそっと浩之の手を取る。

「大丈夫だよ、浩之ちゃん。私も、セリオさんも、浩之ちゃんの役にたちたいんだもん。ケンカなんかしないよ」

 セリオは、どうしいいのかわからないのか、立ったままだったので、あかりがもう片方の浩之の手を取るようにうながす。

「丁度半分こってわけにはいかないけど、浩之ちゃんなら、二人分の愛情ぐらい、何とかしてるれると思うよ」

「いえ、私はあかりさんに注ぐ愛情の残りでもかまいません」

 セリオはそう言いながらも、浩之の手に指をからめる。これほどセリオの言動と行動が一致しないことも珍しい。

「だめだめ、これから3人でやっていくんだから。素直にならなくちゃ。私は、もう素直で行くって決めたもの」

「……」

 セリオは、納得していないというか、まだ自然に愛情を受けることができないようだった。それでも指をからめて、浩之の愛情を求めてしまうあたり、セリオも変わったのだろうか?

 しかし、少なくとも今の状態では、セリオよりもあかりの方ができていた。

「……あかり、お前、そんなに積極的だったか?」

 どちらかと言うと浩之や志保の後をついていくようなあかりが、今はセリオをリードしているのだ。こんなあかりは浩之でさえあまり見たことがない。

「だって、セリオさん、まるで私の妹みたいだもん。私、お姉さんになりたかったんだ」

「妹、ですか?」

 セリオは微妙な表情をする。それは、まだ人間と同等になることを否定してしまう、メイドロボのサガだった。

「セリオさんは嫌?」

「……いいえ、ありがとうございます」

 セリオがそれに慣れるまでは、まだ長い時間がかかるだろう。

 浩之はセリオとあかりを比較するつもりはないが、やはり、こう見るとあかりの方が精神的には優れている、と感じていた。

 それも仕方のないこと。セリオはいくら最新鋭とは言え、まだ生まれて少ししかたっていない。いくら一番近い相手が綾香でも、子供のころからお互いを高め合い、守り合ってきた浩之とあかりに届くわけはないのだ。

 セリオが、さして魅力的に見えなかった志保の考えはあながち間違ってはいなかったのだ。

 だが、それでも浩之が好きになるかどうかとは関係のない話なのだ。

 所詮、愛。人の、そしてメイドロボが全てを理解する範疇のものごとではない。

「ほら、浩之ちゃんも、何か言ってよ」

「……てい」

 浩之は素早くあかりの手から自分の手を抜くと、びしっとあかりの頭にちょっぷを入れた。今日はちょっと強めだ。

「あいたっ! 痛いよ、浩之ちゃん」

「うるさい」

「浩之さん、暴力は良くないと思われます」

「いいや、このちょっぷは愛のムチってやつだ」

 浩之はそう言いながら、もう一回あかりの頭にちょっぷを入れる。今度は弱めだ。

「痛いよ、浩之ちゃん。私が何したの?」

「あかりに主導権握られるのが気にくわん」

「そんなこと言われても……」

 あかりは、こまった顔で頭を押さえている。もちろん、どちらかと言うと、嬉しそうな困った顔だ。

 しかし、浩之だってただ腹をたててあかりをどついたわけではなかった。

「あかり、お前こそ、無茶する必要はないぜ」

「別に無茶はしてないよ」

「嘘こけ。セリオが不安そうだからって、わざわざ無理してリードしなくてもいいんだぜ」

「……」

 いつものあかりでないのなら、それはどこかで無理をしているということだ。確かにあかりにはそれができるが、いつものあかりでないことぐらい、浩之にはお見通しだ。

 もちろん、単純にあかりに主導権を握られるのが嫌だったということもあるが。

「それで、あかり。頭痛は本当に全然ないんだな?」

「うん、昨日浩之ちゃんが帰ってからは全然痛くなくなったよ。むしろ、今日はすごく調子がいいみたい」

 浩之は、あかりが嘘をついていないというのを入念にチェックしてから、安堵のため息をついた。

「それを言うなら、浩之さんは身体に不調はないのですか?」

 セリオが心配して聞いてくるが、浩之は苦笑して答えた。

「それを無くすために、こんな無茶な手を取ったのに、これで胸の痛みがなくなってなかったら笑いものだぜ」

 セリオには、浩之が嘘をついているかどうかの判断ができない。所詮知識にあるものは、浩之とあかりのような実践を何度も経験した繋がりには到底及ばないものなのだ。

「いえ、そうではなく、胸の痛み以外の身体の不調です」

「……そうだな、検査で出てないってことは、ないんじゃないのか? とりあえず、俺には自覚症状ないしな」

 これも嘘かどうかはセリオには判断できない。

 セリオは、あかりと浩之の繋がりに嫉妬することはないが、自分にもその力があればとは思わないでもなかった。

 そうすれば、浩之さんが嘘をついているのか、本当のことを言っているのか、私自身で判断できるのに。

「大丈夫だよ、セリオさん。浩之ちゃんは嘘を言ってないよ」

 今は、あかりさんの言葉を、そして浩之さんの言葉を信じるより他にない。

 セリオは今まで考えてもみなかったが、信じるというのは、思う以上に辛い行為だった。形だけは論理的に理解しようとするメイドロボにとっては、それは顕著に表われる。

 何より、彼女は、自分の棘が中の相手に刺さっているのかどうかを、自分では判断できないのだ。判断できるのは、そこから血が流れて、それを彼女が見たときだけなのだ。

 不便ではあっても、彼女、『銀色の処女(シルバーメイデン)』から完全に棘がなくなるまで、この不安は続くのだろう。

 でもそれは、セリオにはやはりまだ理解できないことなのだろうが、人間なら誰しもがかかえている不安と、何ら変わりのないものなのだ。

 それを、彼女はゆっくりと知っていけるだろう。浩之とあかり、この二人を内包していれば。

「じゃあ、とりあえず、クライマックスっぽく、最後のたねあかしと行くか」

 浩之は、立ちあがって電話に向かった。今回このどうしようもなく陰険で、大変で、バカげてて、何より、大切な事件に関わってしまった人達を呼びに。

 

続く

 

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