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銀色の処女(シルバーメイデン)

131

 

 呼ぶのは、そんなに多くなかった。はっきり言えば、後3人、それで事足りた。

 これで浩之の家には、人は5人となった。メイドロボを一人と数えれば、6人になる。

 浩之とあかりとセリオ。この面子には当然変化はない。

 呼ばれたのは、セリオの親友である綾香、セリオの生みの親である長瀬、そして、浩之とあかりの親友である志保だった。

 たったこれだけの人数。ひどく辛いものにおかされたというのに、それに関わった者は、思う以上に少なかった。

「今日ここに呼んだのは、他でもない。俺と、セリオの間にあった問題を知っているヤツを呼んだんだ。ちゃんと決着をつけとかないと、気持ち悪いしな」

 浩之は、そう言って話を切り出した。

 何事かとそれまで首をかしげていた長瀬が、驚いた声をあげる。

「決着がつくのかい?」

 浩之がセリオの間のことで決着をつけるということは、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』を克服したのか、それともセリオをあきらめたのか、その二者択一でしかないのだが、そのどちらも浩之には困難なはずなのだ。

「まさか、セリオと別れる気かい?」

 長瀬は、表情こそあまり崩さなかったものの、疑り深い目で浩之と、そして、もし別れるはずなら、安心しているであろうセリオの表情を観察した。

 しかし、残りの二人は、浩之の言葉に、何の疑問も思わなかった。むしろ、浩之の表情から、一つの確信を持っていた。

 浩之が、その問題を解決してしまったのだと。

 綾香にとってみれば、それはあまり見たことのない、まだ見慣れない浩之の表情ではあったが、その魅力に、一瞬どころでなく見惚れそうになったほどだ。もちろん、すでに見慣れた志保ならば、何のいいわけもないぐらいに見惚れてしまったのだが。

 やる気なさそうなのに、本当に自信にあふれていて、そして、そんな言葉では説明できないほどに、かっこいい。

 長瀬は、その表情を素晴らしいとは思っても、異性ではないので見惚れたりしないのだ。浩之と付き合いがあまりにも短いから、という話もある。

 すごくわかり辛くて、でもステキな、浩之の表情。

「長瀬、浩之は、どうも『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』を、解決してしまったようね」

「確かに検査では『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』の症状はありませんでしたが、それはあくまで一過性のもので、いつ再発するかは……」

 『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』自体が、まだわかっていないことが多い。一度症状がなくなったからと言っても、油断できるものではないのだ。

「今は症状が出ていませんが、それだけのことで『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』を解決したとはとても思えません」

 長瀬は、長い間それと戦ってきたのだ。そう簡単に、解決する問題ではないことを、身を持って知っている。そうでなければ、わざわざこんな素人の手を煩わせることもなかったのだから。

 しかし、その素人は、長瀬の考えをことごとく超越していた。

「大丈夫だよ、おっさん。もう俺は『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』に悩まされたりしない。あかりもな」

 あかりは、浩之の横で、すごく嬉しそうな笑顔で笑った。

 それを見た志保は、すごく簡単な疑問を持った。

 あかりが元気なのはいいけど、何であかりはあんなに幸せそうなんだろう?

 あかり本人の口から浩之が強くなることがあかりの一番の願いだとは聞いたが、それだけのことでここまであかりが嬉しそうにするだろうか。

 志保もあかりとは付き合いが長いのだ。そのあかりの表情を、たまに見たときがある。

 まるで、自分のお弁当を食べてもらっているときのような笑顔よね。

 つまるところ、それは、あかりの最大の愛情表現を行っているときに笑顔なのだ。

 でも、ヒロはセリオと別れる気はなさそうだし……

 セリオと別れるとして、もし浩之がそんな表情を保っていられるとしたら、それは別人の、もっと他のバケモノだ。

 浩之だって、あくまで、自分の行動がついていっているからその表情を保っていられるのだ。セリオと別れることと、浩之のそのやる気ない、しかし自信に満ち溢れた顔は一致しない。

 もっとも、つまりそれは問題が解決したってことだ。

 ヒロなら、絶対簡単に解決すると思っていたけど、これでやっと私は色々できるようになったわけだ。

 浩之からまだ説明をされていないのに、志保はすでにそう決め付けていた。綾香も浩之の表情からある程度は読んでいるようだが、志保は浩之との付き合いは長い。あかりほどでないにしろ、浩之のことをよくわかっていた。

 だから、次の言葉には、納得した。

「セリオを別れる気はないぜ。もちろん、セリオと付き合ったまま、俺は『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』を解決したんだ」

「それは……説明をお願いできるかい?」

「まあ、もとよりそのつもりでおっさんや綾香を呼んだんだけどな」

 その中に志保が含まれていなかったことに、志保は少なからず優越感を感じていた。説明など受けなくても、自分ならそれを信じるだろうと思われていることに、浩之の信頼を見たのだ。

「それと、志保にも、ちゃんと言っとかないといけないこともあるしな。今日のこと、言いふらすなよ」

「何よ、私がいつそんなことを言いふらしたのよ」

「いつもだろうが」

 浩之は半眼でにらむが、志保はさっぱりしたものだった。

「ヒロのことなんて秘密にするだけ無駄だけど、あかりが関わってるなら別よ」

 ヒロは、冗談で浩之とあかりのことを夫婦と呼ぶことはあるが、あかりについての噂は一度たりとも流したことはなかった。

 そう、志保の嗅覚は、あかりがただ『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』から解放されただけでなく、大きく関わっていることを察知していた。

 でなければ、あかりのその嬉しそうな表情の説明がつかない。

「そういや、お前はあかりが関わってると、噂たてないよな」

「そうよ、あんたとあかりができてるっていう噂以外、たてた覚えはないわよ」

「志保、それを噂立ててるって言うと思うよ」

 あかりは困ったような、苦笑したような表情で志保につっこんだ。

「いいじゃない、減るもんでもないし。まあ、今はガセネタになっちゃったけどね」

 志保は、自分ではそれとなく、しかし率直に探りを入れてみる。あかりは、その言葉に、顔を赤くした。

 あれ? てことは、ヒロはあかり選んだの?

 胸の奥が痛くなるような感覚はあったが、それは志保の望む結果だった。しかし、それでは浩之はセリオと別れなければならず、整合性が合わない。

 それもそのはず、浩之の取った行動は、長瀬や綾香どころか、志保の想像も超えていた。

「バカな志保は放っておいて、本題に入るな」

「バカはよけいよ」

 志保は、そう言いながらも、黙る。これからは、浩之が本気モードに入るのを感じたからだ。

 まあ、本気なのに、そのやる気ない表情はどうかと思うけどね。

 それに見惚れながらも、志保はちゃんと頭の中でつっこむことだけは忘れなかった。

「俺は、セリオとあかり、二人と付き合っている」

 そして、その言葉は、そこにいた状況を知らない3人を完膚なきまでに、混乱させた。

 皮肉にもというか、予想通り、一番混乱しなかったのは、浩之に気がない長瀬だった。

 長瀬は、かたまっている綾香と志保を置いて、まず一番疑問に思ったことを口にしてみる。

「藤田君、それは、鋼鉄病に関係あるのかい?」

 親としては、娘をそんな二股をかけるような男にまかせたくはないのだが、それよりも先に長瀬は研究者だった。一番最初に研究者であることが、セリオのためになるのだから。

「関係ある。あるから、わざわざ俺がこんなバカげだ行動を取ったんだぜ」

 それは語弊があるかも知れない。

「つまり、君は、どういう理由かはわからないが、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』を解決するために、セリオと神岸さん、二人に手を出した、というわけかい?」

 長瀬は、わざと聞きの悪い言葉を使った。セリオやあかりの反応を見たかったのだ。いくらメイドロボや幼なじみとは言え、二股をかけていると言われて気持ちいいわけがないはずだったから。

 しかし、セリオはいつも通り無表情であったし、あかりも、嫌な顔一つしなかった。

「それはちょっとおかしいな。俺は、自分の欲求の通りに動いて、たまたまそれが解決の糸口、というか手段になったというだけだからな」

 例え、誰にどう言われようと、浩之は鋼鉄病になったからあかりを求めたのではないのだ。いや、それも確かに原因の一つではあるのだが、全てではない。

 セリオのことも、あかりのことも好きになった。これこそが全てだ。

「……ちょっと、浩之、いい?」

 一番最後に我に返った綾香が、鋭い目つきで浩之に言った。

「何か今にも殺されそうな気配だけど、どうぞ」

 浩之は、戦々恐々としながらも、そのやる気なさそうな表情を崩さなかった。綾香や、志保に責められるぐらいは、予想範疇内の話だ。

「浩之、前々から女たらしだと思ってたけど、とうとう本性を現したって感じね」

 冷たい目で、言うなれば獲物を狙うような目で綾香ににらまれても、浩之は肩をせばめる様子はなかった。

「おう、俺も、このバカがと思うぜ」

「……思ってるなら、何でそんな手段に出たの?」

 綾香や志保に責められることは、本当に予想内のことだというか、期待さえしていた。

 浩之の取った行動は、普通ではないのだ。それを、浩之自身が嫌になるほど理解している。

「それしか手段がなかったってのもあるけどな。むしろ、俺は鋼鉄病のことよりも、俺が、思う以上にどうしようもないやつだったんだなと思ってる」

 そう言って、浩之はセリオとあかりの手を取った。

「俺は、セリオもあかりも、他の誰にも渡したくないんだよ。まあ、男の勝手な言い分だけどな。別に殴ってくれてもかまわないぜ。殺さない程度に手加減してな」

 浩之は、自分の行動が酷い行為だと、どうしようもなくバカな行為だと思っているが、一つだけ、否定したいことがった。

「俺は、最低なんだろうがな、俺は、俺の取った行動が、間違ってるとは思わなかった」

 浩之の、それは本心だった。何と言われても、浩之はこの行為が正しかったと思っている。いや、自分で正しいと思ったからこそ、こんなバカげた行為に移ったのだ。

「……セリオは、それでいいの?」

 綾香は、そう親友に聞いた。

「もとより、私には嫉妬などありません。浩之さんが愛してくださるのなら、例え浩之さんが何人の女性を愛しても、かまいません」

「……本当に?」

 確かに、メイドロボが嫉妬心を持つことはないのかもしれない。しかし、セリオは成長しているメイドロボだ。それは、良くも悪くも色々な思いを持つようになるのだ。例えそれが嫉妬でも、セリオがそれをいらないからと言って切り捨てられるとは、綾香には思えない。

「はい」

「セリオは、納得して、今そこにいるのね?」

「はい、私は納得しています。むしろ、今ここにいるのが幸せすぎるほどです」

 にこり

 あ、笑った。

 綾香は、セリオの無表情な顔が、笑ったのを見た。親友の初めて見る笑顔は、妬けた。

「……何か知らないけど、セリオは納得してるみたいだから、今は命は取らないでおいてあげるわ」

「一生取らないでいて欲しいものだけどな」

 浩之は、悪いことをしている自覚があるのだろうに、それでも冗談を続ける。それは、もう後悔をすることを、二人のためにやめた、バカげた男の姿だった。

「志保も何か言ってやったら?」

 さっきから、こういうことには綾香よりもうるさそうな志保はずっと黙ったままだった。まだ混乱しているのかなと綾香は思ったのだが、志保は綾香よりも先に我に返っていた。

「志保……」

 あかりが、申し訳なさそうな表情で志保に話しかけた。

「私は、ヒロのバカのことは許せないけど、あかりは自分で納得してるみたいだもの。私の言うことはないわよ」

 志保はそう言って、あかりから目をそらした。

 本当は、嬉しくてしょうがないのだ。ずっと、志保はあかりと浩之が一緒になることを願ってきたのだから。自分が浩之と一緒になるという、その夢を持ちながらも。

 でも、それは痛い。あかりの、二股など、普通から考えれば全然幸せじゃない状況なのに、これ以上ないという幸せな表情が、頭の中にこびりついて取れない。

 そう、志保は聞く間でもなくわかっていた。あかりは納得している。セリオが納得しているかどうかなど、志保の知ったことではないのだ。この状況では、納得しなかったら、いつか切り捨てられるだけだ。いくら浩之でも、自分のことを嫌いになった相手を、そして、自分が与える以上のものを欲しがる相手を、いつまでも手に入れておけるほど、超越していない。

 だから、やっぱり親友としては、贈る言葉は一つしかなかった。

「あかり、おめでとう」

「うん、ありがとう、志保」

 志保も、浩之ちゃんに言って、一緒に仲間に入れてもらえばいいのに。あかりは、その志保の嬉しそうで、さびしそうな表情を見て、思ったりもした。それがどれだけわがままなことでも、親友は、親友。できることなら、一緒に幸せになりたかった。

 でも、志保は、少なくとも今は、浩之をあきらめた。

「さて、さっさと説明しなさいよ、ヒロ。私もそんなに暇じゃないのよ」

 浮かんだ涙を気取られないように、志保は浩之を怒鳴りつけた。気付かれないとは思わなかったが、強がるのも、やっぱり志保だった。

 そして、浩之は、薄々それに気付きながらも、今だけは、それを無視した。

「ああ、じゃあ、説明に入るぜ。まずは……一番前提から」

 浩之は、これまでに起こったことを整理しながら、まずは一番最初に言っておかなければならないことを口にした。

「俺は、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』にかかってなんかいなかった」

 

続く

 

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