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銀色の処女(シルバーメイデン)

132

 

「俺は、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』にかかってなんかいなかった」

 浩之の言葉は、この問題を最初から覆すものだった。

 志保にしてみれば、自分が提案した意見なのだから、驚くことはないが、綾香と長瀬にとってみれば、寝耳に水の話だ。

「ちょっと待って、浩之。それじゃあ、私が一生懸命悩んでたのは何だったのよ」

 綾香は、浩之が傷付くのを予想しながらも、それでもセリオに浩之を譲ったのだ。決して逃れられない、そう聞いたからこそ、綾香も悩んだのに、浩之の言葉は、その努力を無に帰するものだった。

「まあ、まったくの骨折り損ってわけじゃないかも知れないけど、とりあえず、今回は単なる無駄だな」

「いけしゃあしゃあと、よくそんな事が平気で言えるわね」

 綾香は自分ができることを考えて、メイドロボの人権、というのも何だが、人間がメイドロボを対等に見ることができるように、祖父にもう働きかけていた。

 きびしくはあるが、孫には甘い来栖川グループの会長でも、あまり良い顔はされなかった。長瀬のような第一線の研究者ならともかく、商売人である綾香の祖父は、メイドロボの権利など何の興味もなかったのだ。

 それでも、綾香は自分の持つ立場と才能と対人技術を駆使して、祖父を何とか説得しようとがんばっていた。そう簡単には落ちる相手ではないが、それでも、時間をかければ何とかなるだろうと綾香は思っていたのだ。

 しかし、その矢先にこんな話を聞かされても困る。綾香は、親友であるセリオと、大好きな浩之のためにその苦労を買って出たのだ。

「じゃあ、私がやってきたことは何だったのよ」

 いくら心の広い綾香でも、むっとしてしまうのは仕方ないことだ。

 それに、その話は、長瀬も聞き逃せない話なのだ。

「藤田君、君は……セリオを愛していないのかい?」

 『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』を回避する方法は一つ、メイドロボを愛さないこと。そうすれば、そんな怪しげな病気におかされることはない。

「もちろん愛してるさ、今もな」

 しかし、浩之がそんな手を使うわけがない。それなら、最初から愛してなどいない。

「しかし、それ以外に『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』にかからない方法はないと……」

 だいたい、治ったというならそれも、どんな方法かはわからないが、あるかもしれないが、最初からかかっていないというのは、おかしい。

「それについては……あー、志保。お前の言葉でいいから、二人に説明してくれないか?」

「何よ、ヒロが説明すればいいじゃない」

「いや、俺も、確かに志保の意見に賛成して、こういう結論に達したんだけどさ、どうも自分じゃうまく言葉に出せないような気がしてさ」

 あかりならば、言葉にならないことも察してくれるのでいいのだが、この二人とはそこまで深く繋がっていない。浩之には、ちゃんと説明できる自信がなかった。むしろ、そのために志保を呼んだと言ってもよかった。もちろん、あかりのこともあるので、呼ばないわけにはいかないのだが。

「じゃあ、仕方ないから私から説明するわね。まず、その鋼鉄病ってやつは、人間がメイドロボに劣等感を抱くから、かかるんでしょ?」

「と理解している。藤田君の意見だが、私もそうではないかと思う」

 長瀬は、裏付けが取れていない理論を信じるのには少し抵抗があるようだが、それでも、浩之の出した答えが正しいのではないか、と信じていた。

「だったら、劣等感抱かないと、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』にはかからないのよね?」

「無理だ、人間は、メイドロボを心から認めることなどできないのだから」

 長瀬でさえ思い知った人間の自尊心は、作り物であるメイドロボを認めようとはしない。自分の子供とさえ思っていた長瀬も、それを言い返すことができなかったのだ。

 そして、それは親友だと思っていた綾香でさえ同じこと。

 今の世界で、この大前提を覆すことはできない真理。

 だが、ここに、そんなことを全然無視した女の子がいたのだ。

「当たり前じゃない。メイドロボと人間はまったく違うものじゃない。何でメイドロボをわざわざ認めようなんて思わないといけないのよ」

「ちょっと、志保」

 綾香が、鋭い口調で志保を止める。前にも言ったのだが、まだ志保はセリオを低くみているのかと思ったのだ。

 いや、実際、志保はセリオをあまり評価していない。

「だから、わざわざ自分よりも優れてないのに、相手に劣等感抱いたりしないといけないのよ」

「……はあ?」

 綾香は、志保が何を言いたいのか、よくわからなかった。それは長瀬も同じようだった。

「君はまだメイドロボを、セリオを良く知らないだろうが、セリオは、作った親である私が言うのも何だが、人間よりも優れていると思うよ」

 汚れのない、いや、そういうものではない、自分を守るとか、そういう感情に、自分の命を勘定に入れることのないメイドロボは、人間には絶対に不可能な無償の、純粋な献身ができる。人間が、どれだけうらやましく思っていても、それを完全に真似ることはできない。

 おかしなものだ、メイドロボは、人間を真似て作られたはずなのに、メイドロボの行為を、人は真似ることができないのだから。

 そして、そんな差を鼻で笑うかのように、志保は言い放った。

「どこが優れてるのよ。ごめんけど、私はセリオが浩之につりあうほど魅力的だって、少しも思わなかったよ」

 その言葉で、綾香は一つ、自分の言葉を思い出した。

 浩之をあきらめ、セリオを浩之の家に置いて帰る途中に、自分が口にした言葉を。

 セリオには、浩之はもったいない。

 綾香も、それを感じてはいたのだ。浩之と、セリオ、どちらが、何の意味でかはわからないが、優れているかを。

「献身? 笑わせないでよ、ヒロは、無償の献身なんて、一度も目指したことないのよ」

 浩之は、相変わらず聞きの悪い行為を行ってきたのだ。浩之のは、無償の献身ではない。

「ヒロは、人のために助けたりしない。ヒロの……」

 志保は、ちらっとあかりを見た。あかりは、優しく微笑んで、うんと頷いた。

 二人には、特別な言葉。あかりがそれをいつも口にするとしたら、志保はそれをいっさい口にしてはダメな言葉。

 それを言ってしまったら、何かが壊れてしまうのではないかと、いつも志保は感じていた。

 でも、きっと、もう大丈夫。ヒロは、ちゃんとあかりにつなぎとめられてる。私の出番は、嬉しいことに? 悲しいことに、もうない。

「ヒロの優しさは、そんなもんじゃないわよ」

 それに、あかりも志保も人生を狂わされた。もし、劣等感で人が苦しむとしたなら、浩之と自分自身を比べたとき、そのときだけだ。

 浩之をもう長い間感じてきたあかりや志保は感じる。メイドロボは、きっと人間よりも優れているのかもしれない、が。

 が、浩之は、そのメイドロボよりも絶対に、優れているほど、優しい。

「ヒロには、メイドロボに劣等感を抱くことなんてない。ヒロが目指して、行動してきたのは、無償の献身なんかじゃない。ヒロが目指すものは……」

 それが何かなんて、世界の真理を理解していない志保には口に出せない。だが、それでも、メイドロボとは全然違う方に、それは伸びているのだ。

「……人のためになんか、なりたくない」

 メイドロボと対極に位置する考え。それが、浩之の魅力の、最大の原因。

 そして、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』にかからない、唯一の理由。

「ヒロは、だからメイドロボに劣等感を抱かない」

 だから、ヒロは『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』におかされない。

 志保は、二人に自分の言葉が伝わっているのかどうかまでは考えなかった。志保だって、浩之と会って、浩之を少しでも理解するまでは、こんな人間がいるとは思っていなかったのだ。

 口では、これ以上説明できない。でも、浩之を知ったなら、その言葉を信じれる。

「だいたい、私の好きなヒロが、んなわけのわからない精神病になるわけないじゃない」

 ただ、この言葉は、かなり蛇足だったのかもしれない。

「志保、志保」

「へっ?」

 苦笑というか、何とも言えない表情で、あかりが志保を止めたが、すでに時遅し。

「へー、さすが浩之、もてるわねえ」

 綾香が、耳ざとくその言葉に反応していた。セリオとあかりでももう完全に定員オーバーなのに、それでさらに人が増えそうなのだ。腹をたてても仕方ないだろう。

「ちょ、違うわよ。そういう意味じゃないわよ。親友として好きってことよ。だいたい、こんな女たらしに、何で私が……」

 志保は必死になって弁解しようとしたが、それが火に油を注ぐ結果となるのは目に見えていた。

「志保、てめえがこれ以上何か言うとよけい場が混乱する。だまれ」

「何よ、ヒロが説明しろって言ったんじゃない」

 今度はやつ当りだ。いくらすでにあかりと浩之がうまくいったようだったからと言っても、気を抜きすぎていたのかも知れない。

 だが、本当は、気を抜いていたわけではない。この思い、浩之がすごいという気持ちを、ちゃんと言葉に出したかったのだ。好きと言ったことだって、単なる言葉のあや、そういう気持ちは、あの言葉には、あるにはあるが、告白のための言葉ではない。

「あの、失礼します」

 言い合いをしそうになる二人の間に、セリオが割って入る。

「志保さんが浩之さんのことを好きだと、何か困るのでしょうか?」

「へ?」

 セリオは、無表情に言葉を続けた。

「私は、浩之さんのことも好きですが、綾香お嬢様のことも好きです。そういう話ですね」

「あ、う、うん、そうそう。友達同士の友情に、文句はつけられないわよね」

「はい、私もそう思います。それでは、お話を続けてください」

「え? えーと、私からは、以上って感じ」

 セリオは、簡単に志保の暴走を止めた。しかも、助け船まで出して、話を収集させた。

 この数日は、セリオにはどうしても対処できないことばかりだったが、ここに来て、やっとセリオの能力で解決できる問題が起きたのだ。

 本来は、このように冷静に物事を判断して解決するのがセリオだ。どこで間違ってセリオの解決できない問題に取りこまれていたのだろう。

「よし、セリオ、よくやった」

「はい、お話は、まだ終わっておりませんので。志保さんとのお話は、その後でもいいでしょう」

 綾香から見れば、久しぶりの、セリオらしいセリオだった。

 だが、同時に、綾香は疑問に思った。

 でも、苦しんで、ただ痛みに身を任せているだけのセリオも、セリオ?

 ちらっと横を見ると、長瀬も、それに気付いたのか、表情を硬直させている。さっきまでの、志保のあわてぶりを見ていたときのくだけた表情とは大違いだった。

 実に理性的で、合理的で、何の非もないような行動。

 それが、本来のセリオ。長瀬が作ったのは、そういう人のためになるメイドロボ。

 そして、今浩之にほめられて、何故か少しだけでも嬉しそうに微笑んでいるセリオも、セリオ。

 ……ああ、そっか。

 綾香は、何となく理解した。

 セリオは、やっぱり浩之よりも劣っているのだ。それが、何か心の底から納得した。

 だって、浩之は、もうほとんど完成されてるものね。

 たった十数年で、どうやったらこれほどまで人間は成長できるのかわからないが、それでもここにそういう現実した人間がいるのだから間違いない。浩之は、すごい。

 メイドロボなど、まったく相手にならないほど優れている。

 感情で動くセリオ。人のためになることに何があってもこだわってしまうセリオ。志保の暴走を、簡単に止めるセリオ。喜ぶセリオ。泣くセリオ。笑うセリオ。

 

 セリオは、成長してるんだ。

 

 正しい方向にかどうかはわからない。ただ成長している。どんどん、枝をのばしながら、分岐しながら、少しずつ広く、大きく。

 だから、今はセリオの方が劣っている。浩之との差がうまるかどうかは今の所わからないが、今は浩之の方が優れているのだ。

 セリオは、まだ成長している途中だから。

「で、志保に説明させたが、理解してくれたか?」

「だいたいね」

「私も理解した。しかし、それならば、もう問題は残ってないように思うのだが?」

 あかりのことを知らないわけでもないだろうに、長瀬はそう浩之に聞いてきた。もしかしたら、長瀬にとってみれば、セリオが苦しまないかな、どこで誰が苦しんでも関係ないのかもしれない。

 だが、あかりとセリオは関わってしまった。だからこそ、問題は大きくなったのだし、同時に解決もしたのだ。

「いや、そのかわり、問題がもう二つ起こった。俺の胸の痛みと、あかりの『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』だ」

 

続く

 

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