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銀色の処女(シルバーメイデン)

134

 

「それでも、私は、浩之ちゃんの役に立ちたかったの」

 あかりが、ただ一度だけ口にしたわがまま。それは、献身とは大きくかけ離れた、まったく反対にある『自分の欲望』。

 普通なら、責めるにはあまりにも小さな欲望。今は、絶対に責められるべき欲望。

「しかし、あかりがそれを言ってくれたおかげで、あかりを『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』から助けることができたんだ」

 その欲望こそが、全ての問題を引き起こし、そして解決した。

 あかりに、最初からその欲望がなければ、こんなことにはならなかったろうし、浩之はまだ胸に痛みをかかえたままだったろう。

 しかし、それが綾香と長瀬には理解できない。もちろん、浩之が説明しないのが悪いのだが。

「……それで、浩之はどう答えたの?」

 綾香は、選びきれない表情で、それでも浩之をにらみつけた。

 どちらに応える、または、どちらにも応えないとしても、それは答えることのできる問題ではなかった。

 ここに、自分を好いてくれている、献身を人生で一番と言う女の子が二人いるのだ。浩之でなくとも、男の誰しもが、答えを出せるわけがない。

 それが、いくら綾香がついつい期待過剰になる浩之であろうと、浩之が迷える人間であるのなら、どだい無理な話だ。

 だからこそ、浩之を探るように睨み付ける綾香の視線を、浩之は流しながら言った。

「とりあえず、それを言う前に、俺の胸の痛みについて話してもいいか?」

 だからか、浩之はいったんその話題を置いた。

「それは、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』の解決方法にかかわるのかい?」

「ああ、もちろんな」

 長瀬の質問に、浩之は頷く。

「だったら、私はかまわないが……綾香お嬢様は?」

 綾香自身でも気付かない間に、よほど納得いかない表情でいたのだろう、長瀬がそう聞いてくる。

「いいわよ、続けて」

 綾香は当然納得していない。話を変えたのが、浩之が言い辛いことを先延ばしにしたように見えたからだ。綾香も、すでに浩之のことはあきらめているつもりでいるが、浩之のそんな中途半端な態度は見たくなかった。

 そして何より気になるのは、そんな大切な話をしているはずなのに、セリオに何の反応もないことだ。

 人の役にたてるかどうかは、メイドロボにとって死活問題、というより存在理由の源だ。それを他の女の子と比べられているのに、まるで落ち着いたままのセリオに、綾香は、人間に似ている部分を見て取れなかった。

 それは、まだ浩之を好きになる前や、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』に巻き込まれる前の、悪い意味でも成長する前の、いつも冷静なセリオに見える。

「じゃあ、続きの話に入るぜ」

 浩之は、まったく納得していない綾香に気付かないのか無視しているのか、話を続けた。

「俺の胸の痛みは、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』のものじゃない。それは納得してくれたよな?」

「一応は、ね。私にも確証が持てない話ではあったが、藤田君がそう言うのならそうなのだろう」

 自分の研究結果をことごとく覆してくれた浩之には、長瀬の知識などたかが知れているようにさえ思えてくるのだ。メイドロボに関しては長瀬の方が優れた知識を持っているのにも関わらず、浩之の言う内容は、長瀬の研究の範疇をはるか超える。

「じゃあ、どうして俺の胸は痛んだんだと思う?」

「何か別の病気か何かじゃないの?」

 少しなげやりに綾香は言った。すでに自分の想像のつかないところで現実が動いているのが、気にくわないと言えば気にくわないのだ。だが、それは理論的展開ならおそらく一番優れていると思われるセリオにさえ理論の問題点を指摘されないほどの、最初から用意されていたような意見に、綾香も文句をつけることができない。

「それは長瀬のおっさんが一番良く知ってるだろ。で、検査の結果、俺の身体にも、あかりの身体にも異常らしい異常は出なかったんだろ?」

「ああ、君達二人は、実に健康体だ。神岸さんはもう少し運動した方がいいようだがね。不健康そうな生活をしているわりには、藤田君の身体は健康そのものだよ」

 長瀬の言葉に、浩之が意地悪そうな笑みを浮かべてあかりを見た。

「運動した方がいいんだってよ、あかり」

「うう、気をつけるよ。せっかく無料で検査してもらったんだし、有効活用しないとね」

「運動のメニュー作成は私にまかせてください。サテライトサービスを使用すれば、効果的なトレーニングメニューを作成できます」

「別にダイエットをするわけじゃないんだけど」

 3人の話は、実に自然で、棘も何もなく、ああ、単なる平和な普通の生活の風景だと思える。

 しかし、それが一歩前は、3人が3人とも何かしらのものに苦しめられていたはずなのだ。それなのに、今こんなに優しく笑いあえる、セリオはほとんど無表情だが、のはおかしいのではないかとさえ思えた。

「で、結局何が理由だったの?」

 志保は、綾香のように3人の様子がおかしいとは思わなかったようだった。今はセリオがまじっているものの、いつも志保は浩之とあかりとあんな風に笑ってきた間柄だ。それにセリオが入っていることを気にすることはしても、おかしいとは思わない。

 それは、付き合いの長さの違いなのだろうか。志保は、綾香よりも無条件で浩之とあかりを信じることができる。

 信じる必要さえない、それが普通だから。いつだって、浩之とあかりは笑ってきたから。

「簡単だ、俺は子供が欲しかったんだよ」

「あら、以外な話ね。ヒロは子供がいたら蹴り飛ばしそうなんだけど」

「でたらめなガセネタ流すなよな。まあ、別に子供が好きってわけでもないんだが」

「それにしたって、最近の男が思うことじゃないでしょ」

 あかりならまだしも、浩之に子供は似合わないと志保は考えたのだ。それはまったくの思い込み、というわけでもない。実際、浩之は子供が欲しいなど思ったこともない。

「正確には、俺の身体がってことだけどな。ちなみに、変な意味で取るなよ?」

「それ以外どう取れって言うのよ」

 志保が少し顔を赤らめて言った。志保は進んでいるようで、こういうことには疎いのだ。

 しかし、何も考えていないような志保は置いておいて、綾香は最初から気付いていた問題点を指摘した。

「ちょ、ちょっと、それが一体胸の痛みとどういう関係があるのよ?」

 よく考えてみなくても、それはまったく胸の痛みの説明にはなっていなかった。むしろ、自分の願望を言っているだけにしか見えない。

「浩之が子供が欲しいかどうか知らないし、確かに、メイドロボには子供が産めないけど、それぐらいささいなことでしょ?」

 本当のことを言うと、子供が産めないのはまったくささいなことではないのは知っていたが、綾香はあえてそれを無視した。

 綾香にも、志保と同じように、浩之が子供を欲しがるとは思っていなかったのだ。

「俺は……まあ、この先はどうかは知らないけどな、今のところは遊びたいざかりの高校生だ、子供が欲しいなんて少しも思ってないぜ」

「だったら、関係ないじゃない」

 胸の痛み以前に、問題にするほどのことでもないのだ。話題としては、触れる必要のある問題だとは思わなかった。また月日がたって、それを考える必要が出てくる歳まで行って、初めて話題に上ってくる、そういう部類の話題だ。

 それは先延ばしにしているわけではない。きっといつか死ぬことを考えても、それをいつも話題に出すことはない、そういうことと同じレベルの話だ。

 だから、何故浩之がそんなことを話題に出したのか、それすら綾香にはわからなかった。

「確かに、俺は子供が欲しいわけじゃない。だけどな、俺の、藤田浩之という、一生物は、俺の子孫を残す、俺の血を残すことに執着したんだ」

 浩之の出した理論に、さすがに綾香も、そして長瀬もすぐには納得できない、そんな無茶苦茶な理論だった。

「俺の身体は、子孫を残すという本能のために、俺の胸に痛みを伝えたんだ。セリオに執着するのは危険だ、子孫を残せないってな」

 綾香は、慌てて、しかし、セリオに気付かれないようにセリオの方を見る。セリオは、浩之の言葉に傷ついた様子はなかった。あくまで、綾香が見た感じでは、だ。

「生物の痛みってのは、生命活動を守るためにあるんだろ? 傷を受けたりしたら、その傷を治せって身体に痛みで命令するわけだ。今回の俺の胸の痛みは、それと同じことさ。身体からの、とびきりの警告だ」

「そんな話は、私は聞いたことがないが」

 長瀬も、その程度の意見しか言えなかった。すでに理論云々で済むような話ではなくなっていたからだ。今まで浩之の考えた答えには驚かされたが、今回はその中でも最上と言いきれるだろう。

「おっさんも、こういうことは専門外だろ。ま、きっと専門家に言わせても、んなことはないんだろうがな。考えてみれば、普通の人間が、同性を性の対象にとらないのと一緒さ。俺だって、男に迫られれば気持ち悪い、そういうものの延長の話だろ?」

 胸の痛みという、確実な苦痛という形を取っているものの、それは理解できるものであった。突拍子もない話なのに、それは普通のことの延長でしかない。

 だが、延長するにも、そこまでたどり着くには、あまりにも長い延長コードを使いすぎている。完全に、人の考えを通り越すだけの延長の仕方だ。

「だから、俺はセリオを好きだと言ったり、セリオを性の対象と、恋人と考えると胸に痛みが走った。だけどな、おかしなことに、あかりや志保、他でためしたことはないから、ここでは親しい女の子って言っとくが、それが近くにいて、それと話していると、胸の痛みが消えた」

 浩之は、さっきまでは少し真面目な口調で言っていたのだが、そこまで言ってから顔を崩して笑った

「ま、つまりは、俺がどうしようもない女たらしだったってわけだな。あかりや志保にも、女を感じてるんだよ。だから、俺は他の、セリオ以外の女の子を感じると、胸の痛みがおさまる。まるで、身体が、セリオを選ばず、この女の子を選べってな」

 最低の男、その評価は、さしてどころか全然間違っていない。浩之もそう思うし、きっと誰に聞いてもそういう答えが返ってくると思えた。

「でもな、残念ながら、俺は素直に身体の言うことを聞いてやるほど、甘くはねえんだよ」

 他の女の子と交わることによって消える痛み。それに気付けば、普通の男なら、そっちに乗り換えるのかも知れない。または、むきになって乗り換えないのかもしれない。

 だが、言うなれば、浩之はもっと最低だった。

 ようするに、その痛みに流されなかった。解決する必要のある痛みだと思ったが、それにしたがってやる気はさらさらなく、それ以上に自分の欲求に正直だった。

「俺は、セリオをあきらめてやらなかった。ついでに、あかりも欲しかったんだよ」

 世界1最低な男、ここにきわまれり。

 それが、何故かあまりにも魅力的に見えて、綾香と志保は、悔しくさえ思えた。

 

続く

 

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