銀色の処女(シルバーメイデン)
「メイドロボの心を超えるアプローチだ」
それが、浩之の、いや、あかりの取った生存本能のなせる技だった。
生存本能? 違う、それはセリオと違うようで同じ、存在理由のたまものだ。
あかりは、いつもで浩之のため以外では、存在さえしたいとも思わなかったのだから。
「俺は嘘は言ってない。セリオはもちろん役に立つし、何より、俺には必要だ。でも、あかりは、俺を胸の痛みから救ってくれる上に、俺には必要だ」
「でも……あかりなら、セリオと違って、あかりなら、浩之に必要とされなくても、耐えれるんじゃないの?」
綾香の言った言葉は、間違ってはいないが、綾香にしてみればめずらしく、ひどく愚かな言葉だった。それぐらいのこと、綾香が知らないわけがないのに。
それほど、その言葉はセリオを傷付けるはずだった。いくらあかりを『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』から助けるためとは言え、綾香には、あかりの言った言葉、そしてそれに答えた浩之も、ひどすぎるとしか思えなかった。
セリオには、そこは絶対に譲れない場所のはずなのだ。そして、それが人間と張り合うこととなれば、それでまたセリオが苦しむかも知れない。どちらにしろ、セリオは苦しむしかない手段にしか見えないのだ。
それでも、セリオは表情を崩さず、笑った。
「いいのです、綾香お嬢様。私は、必要とされていますから」
「でも……それでいいの、セリオ?」
確かに、セリオは嬉しそうにしている。でも、それを綾香は理解できない。セリオも、そしてあかりもそうだが、愛する男の一番になりたくはないのだろうか?
それを聞いてみる機会は、おそらく、今日この機会だけだろう。綾香はそう思って、重い口を開いた。
「ねえ、セリオ、あかり。二人は、浩之の一番じゃなくても、満足できるの?」
綾香は、もし手に入れたなら、一番でないと気が済まない。
それは、綾香が一番で物を手に入れれる地位と実力を持っているからというわけではない。人は、独占欲が強いものだ。一番にこだわるどころか、自分以外のものが二番以降にいること自体を許せないだろう。
それが一般的と言うより、真理だ。メイドロボならば、もしかしたらそうではないのかも知れないが、成長している、しかも感情的に成長しているセリオや、そして、完全に人間であるあかりがその独占欲というものにこだわりがないことが信じられない。
「私なら……私なら、自分の恋人が他の女の子を好きなんて、許さないわよ。殴りつけてでも忘れさせる。私だけを見てもらう」
綾香は自分がそんなに間違っているとは思わなかった。普通の人間なら当然そう考えるだろうことを、代表して言っているだけだ。
愛される、それだけなら、綾香も納得してよかった。セリオにとっては、それは一番でないはずだから。それにあかりのことは、正直な話無視してもよかった。
だが、浩之の役にたったかどうかとなれば、話は別だ。
「セリオにとって、浩之の役に立つことが、一番重要じゃないの?」
「はい、それは、今でも変化ありません」
セリオは、目をそらすことなく、メイドロボなら当然なのだが、綾香の目を見ながら答える。
「浩之さんのお役に立てるとこが、私の一番の喜びです」
「だったら、あかりよりも、浩之の役に立ちたいと思わないの?」
負の感情なら、持たなければいいと言えないでもなかったが、それは同時に、何か大切なものまで一緒に捨ててしまっているように綾香には見えるのだ。
しかし、それをどう思っているのかはわからないが、長瀬は沈黙を黙ったままだし、志保は何故かバカらしいという表情でそっぽを向いていた。
志保には理解されないのかもしれないけど……
それは愛する者を独占したい、少なくとも、自分が一番優先するものは、一番でありたいという感情をどう思うではなく、セリオが人の役に立ちたいことさえ曲げることに対する、綾香の思いだ。長瀬にはわかっても、志保には理解できないだろう。
それはいい、それはいいけど、何故セリオは、それでも大丈夫そうな顔をするの?
いや、むしろ、何でそんなに幸せそうなの?
それでも、セリオは、無慈悲に? それともそれこそが慈悲なのか、穏やかに微笑んで答えた。
「何故、浩之さんの一番でなくてはいけないのですか?」
「え……」
その言葉に、反対に綾香の方がかたまってしまった。綾香は自分の感じた、無視できない疑問をぶつけているのに、セリオは、それに反応さえしなかったのだ。
「何故って……セリオは、浩之の一番じゃなくていいの?」
独占欲は、直結ではないが、一途とも繋がる。愛には色々あるだろうが、独占したいという気持ちは、独占されたいという気持ちにも繋がるのだ。負の感情に見えても、それは愛情の裏返し、どちらが欠けるわけにもいかない。
それなのに、セリオには、欠けていた。
「私が一番役に立たないといけない理由はないと思います」
「でも……私なら、自分の一番優先するものは、一番でありたいわよ」
たまらず、横から志保が口を出す。
「んなこと言っても、現実にいつも絶対一番になれるわけじゃないじゃない」
「でも、そう望んだりしないの?」
「ま、綾香なら、けっこう希望と現実を一緒にできるわよね」
絶対手に入るとは限らない。人間には限界というものは確かにあるのだ。例えば、綾香がエクストリームを優勝することによって、他の格闘を一番に置く者達は一番になれない。そういうことは現実にはいくらでもある。
しかし、それは綾香には納得できない。
「現実にうまくいかないことはある、私だってそれは知ってるわよ。でも、だからって、望まないわけないじゃない。なのに何で……」
セリオは、少し困った顔をしていたのだろうか。今は無表情なので、読めない。
「何で、セリオはそんなに幸せそうなのよ?」
浩之ほどの相手だ、もしかしたら独占できないこともあるだろう。実際、今回はあかりとセリオ、二人が共有するという決着となった。
でも、それは本当の希望ではないはずだ。あきらめているからと言って、その小さな、希望とは違う現実で、満足するのはおかしい、綾香はそう思ったのだ。
小さな幸せ、綾香にはそう思えたのだ。
だが、当の本人は、とても嬉しそうなのだ。綾香に責められることに、疑問を感じてしまうほどに、幸せそうなのだ。
「幸せです、私は。浩之さんを傷付けることなく、浩之さんの役に立てて、しかも、愛してもらえるのですから、これ以上、何が望みなのでしょうか?」
「浩之を、独占したくないの?」
綾香は、まっすぐにセリオを見た。相手が人間だからって、遠慮することなんてない、綾香の目はそう物語っていた。それを感じて、その綾香の優しさに、親友のために、親友を責めてでも幸せになってもらおうとしている綾香に、涙が出るほど嬉しく思いながら、その幸せな風にセリオは、自分の身を預けたのだ。
セリオは、変わった。献身には、人に身を預けるなんてことは含まれていなかったのに。
「ありがとうございます、綾香お嬢様。私などのために、そんなに心を痛めてくださって、私は……幸せで仕方ありません」
感じるのだ、綾香の気持ちも。その優しさが、まるで身に染み込むように伝わってくる。
志保の、納得してないような顔をして、実際納得してないのに、それでも祝福したくて、困っている気持ちも伝わる。
長瀬の、子供を慈しむような気持ちも、そして他のメイドロボに対する責任感も、感じる。
「私は、幸せです。何故なら、今私は、浩之さんの気持ちも、あかりさんの気持ちも、綾香お嬢様、長瀬主任、志保さん、全員の方の気持ちが、伝わってくるのです」
すごく、心地よい。今まで感じれていなかったことが悔やまれて仕方ないほどに。
今まで、ずっと人のために生きることを考え、そしてそれが今でも間違ってないと思っているが、そして今からも、ずっとそうやって生きていくと思うけれども、それも、全て、本当に、すごく、とにかく、幸せなことなんだな、と、思う。
セリオは、応えることができた。全てに。
「私は、浩之さんの一番でなくても不幸ではありません。世界で、一番幸せなメイドロボですから」
とても、嬉しそうに微笑みながら、やっと表情を覚えたメイドロボは。
「だから、心配しないでください、綾香お嬢様。私はとても幸せです。私が……私が望んだことは、世界で一番です」
「セリオ……」
綾香は、泣きそうな顔でセリオを見た。強がっているようにさえ見える、セリオの言葉が、でも、それにセリオは従って生きるつもりなのだという決意を、感じたのだ。
セリオの、全てのメイドロボにとって、存在理由、メイドロボがそこにある意義、人の役に立つというものを捨てずに。
全てのメイドロボにとって、一番の罪である、希望をかなえて。
原罪を背負い、それでも、セリオの背筋はまったく曲がっていなかった。それは一人の力ではなかったから。
浩之という、一人の、無茶苦茶な青年が、セリオを不安定な場所に置き去りにしながら、成長させたのだ。
長瀬も、泣きそうなのを、ぐっとこらえている。すでに自分の手を離れた娘を見る父親の、何と悲しく、嬉しそうなこと。
親友は、もう泣いていいと思った。それは喜ぶべきことだけれでも、悲しい。
悲しい。
……悲しい?
違う、嬉しい。だから、泣くのだ。
「安心してください、綾香お嬢様。長瀬主任……いえ、お父様。私は、幸せです。こんなに、色々な方から思っていただいて、そしてこんな幸運にめぐり合えて、そして、私自身がそれを感じれるようになって」
美しき、『銀色の処女(シルバーメイデン)』は。
「世界で、一番幸せなメイドロボです」
人間ではないけれども。
続く