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銀色の処女(シルバーメイデン)

139

 

 カランカランッ

 軽い呼び鈴の音が、店内に響いた。

「いらっしゃいませ。あら、綾香さん、こんにちは」

 あかりは、昔と全然変わらない笑顔で綾香に笑いかけた。綾香は、軽く手をあげて、カウンターに座った。

「ひさしぶりですね、綾香さん。ここ1、2ヶ月は来てなかったでしょう?」

「ええ。こっちも仕事とか色々急がしくってね。かと言って、ジジババに私の仕事まかせとくわけにはいかないでしょ」

「そうですね」

 あかりは、受け答えしながら、水とお手拭を出す。

「コーヒーでいいですか?」

「うーん、あかりのコーヒー美味しいけど、最近会議ばっかりでコーヒー飲みっぱなしなのよ。何か胃に優しい物ない?」

「そうですね、甘いココアとかどうですか」

「うん、それでいいわ。後、軽く何か食べたいから、サンドイッチ頂戴」

「いつものミックスサンドですね。すぐできますから待っていてください」

 あかりはそう言うと、てきぱきとココアを入れる。

「相変わらず手際いいわよね。セリオにも劣らないんじゃない?」

「セリオさんは、ずっと浩之ちゃんの方につきっきりだから、仕方ないでしょう。はい、ココアどうぞ。インスタントなので、味は保証しませんけど」

「先にそれを言ってよ」

 綾香はあかりの冗談に受け答えしながら、ココアに口をつける。丁度良い暖かさのココアが、疲れた身体に染み渡るようだ。

「ふう、やっぱりここは落ち着くわね」

 落ち着いた内装、聞こえるか聞こえないか程度の、目立たないBGM。都心から離れた住宅街の一角にあるということもあるが、落ち着く空間だ。

「毎日来てくれてもいいんですよ。綾香さんの会社から出資してもらったんですから、遠慮することはありませんよ」

「そうは言ってもね、来たくても、時間がないのよ、なかなか」

 綾香は、今の立場は嫌ではない。この若さで会社の重役で、まわりから親、というより祖父の七光りだと言われても、別に気にならない。七光りでないだけの実力が自分にそなわっていることを、綾香は自分で十分自覚しているのだ。

 この喫茶店にあまり来れないほどに忙しい日々もむしろ充実していていいぐらいだ。だが、やはり、ここにはたまには来て、ゆっくりと話をしたい。

「時間がないと言えば、今日も浩之は仕事?」

「ええ、今日もお客さんがつまってるって言ってましたよ」

「そう、まあ、全国に一つしかないから、それも仕方ないわよね」

「前は、志保から話を聞いたって言うアメリカの方が来てましたよ。海外にも、そういう機関はほとんどないみたいですね」

「てことは、浩之も世界でも第一人者ってわけね」

「仕方ないですよ、今まで前例のないものですから。浩之ちゃんだって、セリオさんがいなかったら、きっとあの仕事はしていなかったと思いますし」

 顔は綾香の方に向いているのだが、手はまるで他の生き物のように動いて、トマトとハム、シーチキンなどを基本としたミックスサンドを作っていく。まさにほれぼれするとはこのことだろう。

「ロボット心理学か、浩之も、よくもまあそんなものやる気になったわよね」

「正式名称は何でしたっけ」

「自立思考機械臨床心理学だっかかな? 今じゃあだいぶ名前もメジャーになってきたけど、そのわりには全然専門医が増えないわよねえ」

「浩之ちゃんもそれは言ってました。なかなか有能な後輩が出ないって」

 殻になったカップを戻しながら、綾香が笑いながら言う。

「ま、私が試験すごく難しくしたから、開業医が増えないのは当たり前なんだけどね」

「綾香さん、それだと問題があると……」

 あかりはすぐにココアのおかわりを作りながら苦笑する。

「あ、いいのいいの。私の会社が無理言って作った資格だもん。かなり無茶なことも言えるわよ。それに、試験官は浩之がやってるんだから、浩之本人にも責任はあるわよ」

 もちろん、そこまで見越して綾香は試験官を浩之にしたのだ。生半可な者には、あの仕事は勤まらない。浩之も、有能な後輩でないと、困るだけであろう。

「でも、あそこの学校では、今一番人気の学科なんでしょう?」

「まーね。目新しいし、浩之が何度もテレビに出てるからね。私の会社がバックアップしてるのも知れ渡ってるだろうから、就職もできそうだしね。もちろん、あそこはそんなに甘くないわよ。勉強ができればどうにかなる場所じゃないからね」

 だが、今のところ自立思考機械臨床心理、ロボット心理の国家免許を持つのは、浩之一人だ。それだけ浩之という個人が有能であることもあるのだが、綾香が増やすのを止めているという背景もある。

 本当にメイドロボのことを考えてる人がならないと、まったく意味ないもの。

 そして、浩之は唯一、メイドロボのことを考えて動く、その条件にあてはまっただけに過ぎない。綾香は独自に、セリオの、メイドロボのために動いただけで、それに乗ってきたのは、浩之の個人の判断だ。

「でも、最近は前ほど患者さんはいないみたいですよ」

「前ほどって、どれぐらい違うの?」

「日曜日は何とかお休みを入れれるぐらいまでは少なくなりましたよ

「何とかって……それって全然減ってないような気がするんだけど」

「そうでもないと思いますよ。少なくとも、綾香さんよりは忙しくなくなりましたから」

 多分日本で一番忙しい20代である綾香と比べるのも何だが、確かに綾香は休日などない。自分で手を出せる場所は必ず手を出すというところも悪いのだろうが、それがなくても、休日がもらえるかどうかは疑問だ。

「了解了解、減ったってことにしとくわ。でも、今ごろになって患者が減ってきたの?」

「はい、遠くの患者さんは増えましたけど、若い世代の患者さんは減っていっているようですよ」

「若い患者ねえ。どれぐらいの年齢が若いの?」

「高校生以下ぐらいの患者が減ってきているって浩之ちゃんは言ってました。何でも、親ではなくて、メイドロボに育てられた世代が出てきたんだろうって」

「……なるほどね、確かに、育ての親のことを認めない子供はいても、育ての親を見下す子供はいないってわけか」

「はい、段々、人間とメイドロボの垣根は消えていってるんだって、浩之ちゃんは微妙な顔をしてましたけど」

「何で、そこは喜ぶところじゃないの?」

「浩之ちゃんは、自分が人間の絶滅に一番貢献した人間になるだろうって言ってますけど。はい、どうぞ、ミックスサンドできましたよ」

「あ、ありがと」

 綾香は、とりあえず話を止めてミックスサンドに取りかかった。

「ん、やっぱ美味しいわ」

「ありがとうございます、綾香さん」

「それで、人間の絶滅に貢献って何よ」

「男が、メイドロボにしか目がいかなくなるなって、浩之ちゃんは言ってました」

 献身的で、素直で、言うことは何でも聞いてくれる、歳を取らない美しい女性。男にとってこれほど都合のいい相手はいない。

「まあ、言われてみればそうよね。私ならまだしも、女性全員がメイドロボの魅力に勝てるとは思えないしねえ」

 あかりはさすが綾香さんと言って苦笑しているが、綾香は大真面目だ。浩之に関して言えば、セリオに遅れを取ったが、二度目があるなら自分が勝つ自信はある。

「男が子供を作らなくなって、人間が絶滅するんじゃないかって浩之ちゃんは冗談っぽく言ってましたけど、浩之ちゃん自身はけっこう危機感を持ってるみたいです」

「……と言っても、浩之がそんなことに心病んでも、現状は変わらないわよねえ」

「だからこそ悩んでると思いますよ。浩之ちゃんも、自分がしたいことでもない限り、無茶はできませんから」

 確かに、浩之が無茶をすればどうにかなるのかも知れない。だが、浩之は絶対にそんなことはしない。自分が、セリオを愛しているから。

 当然綾香も、それを止める気はない。人間の滅亡など、綾香の関知する場所ではないのだ。そして、この世界の人間誰も、それに気を止めることはないだろう。まさしく、浩之だからこそそれを気に病んでいるだけだ。

 むしろ、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』は、人間が滅亡の魔の手から逃れるために作った、一つの自己防衛だったのかも知れない、綾香はそう思った。

 人間の誰しもが、浩之のように胸の痛みを覚えたりはしないものなのだ。むしろ、もっと他の理由を必要として、そして、それがただ自己防衛に繋がるだけだ。

 そして、浩之はその自己防衛の本能を、実力で打ち破る者。自分だけでなく、医者となり、多くの人の『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』という防衛システムを破壊し、滅亡という魔の手にゆだねる、感謝される職業。

 おかしなものだ。やはり、何が正しくて、何が間違っているかなど、誰にもわからないのだ。

 ただ、人は信じた道を進むしか方法はなく、それが一番心地よいのも確かなのだ。

「ごちそう様、といいたいところだけど、ケーキ2、3個見繕ってくれない?」

「はい、いいですよ。丁度今日はイチゴタルトとチーズケーキを焼きましたから」

「あ、いいわね。あかりのケーキ美味しいからね」

「昔からよくやってましたから」

 あかりは切り分けてあるケーキを、冷蔵庫から取り出す。

「にしても、ここも客多いんでしょ? 一人で大丈夫なの?」

「そんなに沢山お客さんが入れるわけでもないので、一人で十分です……でも、しばらくは誰か雇わないといけないと思ってます」

「そうよねえ、やっぱりあかりも忙しいでしょ?」

「いえ、そういうわけではなくて、ちょっとお休みが必要になったので」

「何、海外でも行くの? あ、でも、浩之が仕事だからそうそう遊びにも行けないか」

「今度学会でフランスに行くので、それについてはいきますけど、そうではなくて……」

 あかりが目を伏せたので、綾香は、あかりの視線の先を追った。

「……もしかして」

 優しくお腹にそえられた手を見て、綾香はあかりが何にそんなに微笑んでいるのか、一つしか思いつかなかった。

「……はい、私と浩之ちゃんの、子供です」

「それは……おめでとうって言葉しか出てこないわね」

 突然の話で、綾香は言葉がなかった。もちろん、喜んでいるのだ。でも、いきなりこんな話をされるとは思っていなかったので、綾香もほうけていると言ってもよかった。

「ありがとうございます」

 あかりの微笑みが、あまりにも優しくて、綾香はちょっとばかりあかりに嫉妬した。これは、母親の経験どころか、予定もない自分にはできない微笑みだなと。

「でも、だったら海外はあきらめた方がいいんじゃないの?」

「そう言えばそうですね。今度、病院に行って聞いてきます。大丈夫そうだったら、大事を取って行かないってことはしません。私と浩之ちゃんの子供ですもの、頑丈な子ですよ」

「確かに、何があってもへこたれない子供ができそうね」

 それもすごく頑丈そうだ。この二人の子供と聞いただけで、そら恐ろしいものを感じる。

「で、浩之にはそのこと言ったの?」

「今日の朝、病院から電話しました」

「だったら、浩之、仕事どころじゃないんじゃないの?」

「ちゃんと仕事はしないと駄目だよ、って言っておきましたから、しぶしぶ仕事をしてますよ。そろそろ我慢できなくなって来るころじゃないですか?」

 浩之の病院はこの喫茶店の裏にあるとは言え、浩之が離れるわけにはいかないのだ。少なくとも、予約の患者は全てこなさないと時間を取れないだろう。

「それに、あかりだって、浩之に会って報告したいんじゃないの?」

「もちろんそうですよ。でも、少しはじらした方が、嬉しさは倍増すると思いますよ」

 そう言って、あかりは昔はできなかったようないたずらっ子の顔で笑った。子供じみているような行為なのに、それは、ひどくあかりが大人になったのだなと綾香に思わせた。

 昔は、どっちかと言うと年齢よりも低く見られそうだったのにね。

 人は、変わっていくものだ。成長もすれば、歳を取って頑固になることもある。

 変わらないのは、そう。

 バターンッ!

 激しい音をたてて、カウンターの奥にある扉が開く。というか、叩き開けた感じだ。

 奥は裏の病院と、居住区につながっているはずだ。当然、そこに立っているのは、浩之とセリオだ。

「……あかり」

 浩之は、自分を落ち着かせるためか、何とか冷静な声を出そうと努力しているが、それに失敗して声が震えていた。

「はい、何、浩之ちゃん」

 あかりは、反対に、すごく普通の態度で、大人びた声と口調と、子供じみた『浩之ちゃん』という呼び方がアンバランスだった。

「ああ……ええとだな、今朝の電話のことなんだが……」

 浩之は、どう言っていいのかわからないのか、おろおろしている。

 あ、浩之でもやっぱり我を忘れることあるんだ。

 当たり前のことなのだが、綾香はそれを見ながら何となくそんなことを納得していた。

 ろくな言葉の出ない浩之の後ろで待っていたセリオが、それを助けるためか前に出る。

「お久しぶりです、綾香お嬢様」

「もうお嬢様って歳でもないんだけどね、久しぶり」

 セリオの助けを待っていたのか、浩之はすごく情けない顔をする。思わず、綾香は小さく噴出し笑いをしてしまった。本人にとってみれば必死なのだろうが、それは他人から見るとおかしいものなのだ。

「そして、あかりさん。おめでとうございます」

「うん、ありがとう、セリオ」

 セリオは、ゆっくりと、浩之をじらしながらゆっくりと微笑んでからあかりに言った。

「私にはそのお仕事は手伝えませんが、かわりに、よろしくお願いします」

 そう言って、ぺこりと頭を下げた。

 それがきっとセリオなりの最上の喜びの言葉なのだろう。綾香にも、そしてあかりにもそれは十分に伝わっていた。

 セリオは人の気持ちを感じれるようになったし、同時に、人はセリオの気持ちを、より強く感じれるようになった。

 お互いを、理解し合おうと努力したから、それは成功したのだ。

 むしろ、まだ固まったままの浩之と比べれば、全然器用だ。

 セリオが頭を上げてから、やっとあかりは浩之の方を向いた。

 そして、今までの大人びた様子は何だったのかと思えるほど、子供じみた様子で。

 

 浩之に向かってピースサインをしてみせた。

 

終わり

 

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